働き方改革 ここがおかしい

 働き方改革法案に裁量労働制がはずされたと報道されているが、政権の主張の特徴は理由が一切無いことだ。

 高プロは外さないと結論しか言わないのだ。何か良いことがあるから外さないのだと思うのだが、それが一切説明されない。ニュースでは経済界の主張だとなっているから、その通り説明も出来ないのだと想定は出来るが、まずここがおかしいといえる。

 この法案には四つの柱があるそうだ。同一労働同一賃金、時間外上限設定と刑事罰、裁量労働制、高度プロフェッショナル制。

 前の二つは労働側にも良い方向だとされている。だが本当にそうなのだろうか?

 同一労働同一賃金は理想だが、現実に当てはめると難しい事が多い。本当に同一労働なのか、その判定は極めて難しい。今までの検討では逆の言い方で、こう言う場合は同一ではないと例外を明確にして同一賃金でなくても良いとするイメージを持っている。結局同一賃金にするケースを限定する規則を決めるのではないかと疑う。

 時間外上限設定もいい話のようだが、上限が高すぎる。このレベルは過労死になるレベルだという。
 こんな多い時間外が習慣化していれば過労死が頻発し、労基局から指導が入り企業は存続出来なくなるだろう。だから労基局が健全ならこんな上限規制は不必要だろう。
 逆に高い上限を目指して、ここまでは大丈夫だ、国が認めていると称する動きは無いだろうか?これを理由に労基局が動きにくくならないだろうか?
 法律の内容を精査しないと危険な部分があるような気がする。

 裁量労働制、高度プロフェッショナル制は根は同じ問題だ。裁量労働制だけ降ろすのは理屈が分らない。ここは追求するところだ。
 政権は多様な働き方が出来るようにするという。看板通りの働き方が出来るのなら、悪い制度ではない。
 自身の都合の良い時に働き、その成果に応じて賃金をもらう。看板通りなら良い制度だろう。

 例えば昔の教師はよく似た環境だった。朝は定時出勤だが、終了は授業の終了と同時でも可能だ。当然事務仕事や明日の準備とかクラブ活動とか有るけれど、終業時間でなくても帰れる訳だ。夏休みなども自己研修と称して、旅行なども可能だった。
 その代わり、自宅での仕事も多くやってつじつまは合わしていた。残業代は決まった額で残業代なし制度と同等だ。

 教師の場合、まず勤務時間内は学校内に拘束されるようになった。夏休みも同等だ。事務仕事などが増え、生徒指導も過重化している。
 自民党ですら過重だと認識して検討するらしい。これが裁量労働制などの推移を示すものの一つだろう。そしてこうなった理由も明白なのだ。

 多様な働き方と言えば、派遣での働き方もそう言われていた。派遣の比率が大きくなった現在、多様な働き方が出来たと評価している者はどれほどいるのだろうか?派遣で働いている人たちは正社員化を望むがなかなか実現しない。すなわち、派遣での働き方を望んではいないのに、派遣でしか働けない現状だ。

 裁量型でも本人の了承が必要だという。本人が望めば裁量型から普通型に戻せるように言う。本当にそうなのだろうか?
 実はこれらの制度で多様な働き方が幸福な結果になるのは、本人の希望通りの働き方が出来る時だ。だがこの世の中そうならない事は歴史が証明している。

 憲法にもある団結権。
第28条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
 この条文を必要とするのは、社会がこれを必要とするからだ。
 だが戦後、経済界は一貫してこの権利を攻撃してきた。いまや連合加盟の企業にしか組合は残っていないような惨状だ。しかもこれらの組合は御用組合なのだ。上記の教師の話も、日教組が強大な力を持っていた時代には起こりえない話だ。
 労働側の力が微弱な現代では、多様な働き方とは企業が好きなように働き方を指定出来ると読み替えなければならない。こう考えれば、上記の制度は残業代なし、無制限労働と読み替えることが可能だ。

 労働問題は運用の問題だ。立派な企業があって、労働者の労働環境を大切にする会社があれば、上記の制度は生きるだろう。そしてその企業は社員が活き活きと活動し、労働生産性が上がり、業績も上がることだろう。これが長妻議員が言った哲学の話だ。

 だがテレビで自民党に要求する企業人がいるような会社では、最悪の結果を生む労働制度になる事だろう。

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