年金はある程度賄う物なのか?

 年金が不足していると報告書にあった物は、間違いなのか、国民が誤解した物なのか、よく分らない話だ。
麻生氏は会見で、報告書が「世間に著しい不安とか誤解を与えている」と指摘。そのうえで、「公的年金制度が崩壊するかのように受け止められたが、毎日
 不安は分るが、誤解がないかが分らない。年金制度の崩壊が不安の中身だというのは、自身の都合の良い話にもっていこうとする話ではないのか?
 総理は共産党の質問に現役の給料に比例させるから制度は破綻しないと延々と語ったけれど、同じ流れにある。小池氏はでは年金の水準はどうするのか考えないのかと詰め寄ったけれど時間切れだった。

 実際の制度上は所得代替率50%キープするとの歯止めを与えているから大丈夫と言うことになっているが、これが極めて怪しい話だ。そしてこの春に歯止めのチェックをするはずだが参議院選挙後にしようとしている。隠蔽だね。

 テレビでは上記の発言の後半からすっぱり切られているが、次の発言も含めて極めて重要な発言が切られている。毎日新聞がこの発言を報道した事の意義は大きいと思う。
高齢者の生活は多様で、年金で足りる人もいればそうでない人もいる。公的年金は老後の生活をある程度賄うことができるという政治スタンスは変わらない」と釈明した。
 年金は老後の生活をある程度賄う事が出来るだけだと。この結論は報告書のスタンスと変わらない。変わらないのにどうして受け取らないのだろうか?
 報告書は足りないから資産運用で増やせとなっているのだが、本当に増やせるのか?間違いの無いのは、運用すれば證券会社の利益が伸びることだけだ。

 さて、政府の公式見解はどんな表現になっているか。ここでは分りやすく(?)解説したQ&Aを引用しよう。
Q.そもそも、なぜ公的年金は必要なんですか?個人で備えればよいのではないですか?
A.私たちの人生には、自分や家族の加齢、障害、死亡など、さまざまな要因で、経済的に自立した生活が困難になるリスクがあります。こうした生活上のリスクは、予測することができないため、個人だけで備えるには限界があります。そこで、これらに備えるための制度が、公的年金です。公的年金は、あらかじめ保険料を納めることで、必要なときに給付を受けることができる保険です。
もし、公的年金がなかったら、私たちは、自分自身の老後に自分だけで備える必要があります。しかし、自分が何歳まで生きられるのか、長い人生の間に、経済の状況や社会の在り方がどう変化していくのかは予測できません。
個人や家族だけで対応しようとしても、必要な額の貯蓄ができなかったり、貯蓄のために必要以上に生活を切り詰めたり、家族や子どもに頼ることができなくなったりすることも起こるでしょう。これらに対しては、社会全体で対応した方が確実で効率的です。世代を超えて社会全体で支え合うことで、その時々の経済や社会の状況に応じた給付を実現することができます。
 分りにくいと思います。そう書いているからでしょう。
 でも例えば「必要なときに給付を受けることができる保険です。」などは、不足があるとは思えない表現でしょう。
 逆の表現で分かり難いですが、「貯蓄のために必要以上に生活を切り詰めたり、家族や子どもに頼ることができなくなったりすること」が避けられると言っています。貯蓄もしなくて良いと思わせないでしょうか?

 こんないい加減なことを誰が書いているのかと思われるでしょうが、引用元はこちらです

 政府のスタンスは「ある程度賄うことができる」のか「必要なときに給付を受けることができる」のか、議論した方が良いと思うのですが。

 それと、これらの議論は厚生年金付の年金の話だが、国民年金だけだともっと不足する。中には生活を極端に切り詰めて国民年金だけで生活をしている人もいる。その年金額は必要な給付額なのか?当然国民には文化的な生活を営む権利を持つから、この状態は許されるのか?当然この水準は生活保護レベルより低い。


 マスコミは野党の追及は報告書を取り消したことの1点に絞られたように誘導し始めています。それが泥仕合に導く演出であることは明確だ。国民はそれに騙されず、年金どうしてくれると声を上げるべきです。

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