不毛の国会議論の責任は

 国会の議論は質疑と言うらしい。だが実際行われるのは質問と答弁だ。質問するのは議員、答弁するのは政府となっている。機会は少ないが議員立法の際は議員が質問し議員が答弁する。この場合の方がまともな話のようだ。

 良く議論が噛み合わないと評されるが、質問と答弁がうまく対応しない時に言うようだ。だが多くの場合質問に対してまともに答えない場合にこう言うようだ。質問に対しずらして答える、あるいは全く違う答弁を行う。それをマスコミは噛み合わないと書く。それは明らかに答弁する側の肩を持った表現だ。はっきりと質問に答えなかったと書くべきなのだ。

 その昔、非戦闘地域とはと質問され、自衛隊の行くところは非戦闘地域だと答弁した総理大臣は小泉純一郎だったと記憶している。それがふざけた答弁だったことは明白のだが、余り大きな問題にならなかったような気がする。その事が現在に繋がっているのかな?

 調べるのも面倒くさいので調べていないが、まともな答弁をしなければ国会法か何かに引っかかると思うのだが、そう言った運用すらどこにもない法治国家だ。

 モリカケなんて疑惑を通り越して確信に近いのだが、何しろ証拠を突きつけられても決して認めない容疑者のごとく誤魔化し続けている。警察が容疑者を取り調べられるのは拘束出来る力があるからだろう。与党と野党の力関係はまるで逆だからそのままではどうにもならない。
 この状態を野党に問題があるとかマスコミが言うのはこう言った事情を無視した暴論である。

 こう言った力関係を正すために存在するのが憲法の筈なのだが、それも権力が守らなければ単なる紙切れに過ぎない。例えば国会を召集する条文を全く無視したのはそれを表している。

 憲法は国民投票で定まる物だ。決して与党が誘導して決まるものではない。そして憲法を守らない権力には退場してもらわなければならない。
 そのためには国民は選挙に行く必要がある。民主主義を愚弄する政権には民主主義で物を言わねばならない。それだけは確かなことだ。

不毛の国会議論の責任は国民にある。それだけのことだ。

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