「きらり」の時代を生きた人達の生涯があって、現代の人達の生活がある。

「きらり」の時代を生きた人達の生涯があって、現代の人達の生活がある。
 これは佐久間象川ブログ「縁」に就いて(4) 中山正男 にある言葉だ。「きらり」については朝ドラ「純情きらり」についてにおいて既に書いている。

 政治の世界で次のような言い方を良く聞いた。
 
今日の日本の繁栄は、あの六十年前、過酷な戦争で日本国民も大きな犠牲を受けた、そして、当時、家族を持ちながら、戦場には行きたくなかった方も心ならずも国家のために戦場に赴いて命を落とさなければならなかった、そういう方の犠牲の上に今日の日本の平和と繁栄があるのではないか。
小泉元首相
戦場に赴き、亡くなった人たちだけが今日の日本の繁栄を作ったのか。この言葉を聞くたびに「違うだろう」と心の中で叫んで来た。兵隊以外に戦地や外地で亡くなった方も多い。沖縄や内地で亡くなった一般市民も沢山おられる。
 そして「きらり」の時代を生きた人達の生涯があって、現代のわれわれの生活がある。あの食糧難の時代を生き抜き、必死に働き生活を向上させてきた人たちがいる。今その人たちは老人となり敬われるべき存在となっているはずだ。
 
 鳩山由紀夫氏が代表質問で敬われるべき存在である老人を福祉や税金で苛め抜く政治を非難していましたが、根底にある戦死者のみを弔う現自民党政権の姿勢に問題があると思う。

  「きらり」の時代を生きた人達の生涯があって、現代の人達の生活がある。
 言いたい事を先に言われてしまった。

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