やすらぎの刻は軍国の刻か

 やすらぎの郷では往年の俳優たちの活躍が見られて大変安らげたと思う。その続編やすらぎの刻も安らげると思っていた。最初はその通りだったが、劇中劇が始まった時、とんでも無いことが起こったと思った。

 主人公菊村栄がかく「道」という劇中劇は山梨の農村での昭和初期から戦中戦後平成を描くという。当然最初は戦前のあの時代を描くのだが、登場人物たちはその時代の考えを正しいと考えて行動する・・・そう言ったドラマだ。

 例えば、女子であっても兵隊に行きたいと言い、日本人ならお国に尽くすべきだという。彼らは本当にそのように思っていたのだろうか?
 そして周囲の大人たちも同じように考えていたのだろうか?

 これを書いた山村總は戦前の時代を過ごし、戦争には反対の人だったと記憶していた。その人がどうしてこんなドラマを書いたのか、私の頭は混乱するばかりだ。

 今はまだ子供たちの意識がそのままドラマに出てきている。かなり早い時代なのに、戦争を盛んに行っているように描いている。だが泥沼の中国戦争においては日本軍は優勢であり悲惨な様相はない。どうも、山村總が]過ごした子供時代をそのまま書いているのではないか?そんな気がするのだ。

 そして過度の軍国主義の強調は、そのまま書けば否定されるはずだとの思い込みがなせる技ではないのかと思い始めた。どこかで戦前と繋がっている現代では、軍国主義時代をそのまま演じれば、そのままの形で受け取られる可能性があるとは思わなかったのではないかと思うのだ。

 上記から、このドラマは非常に危険なドラマになっている。作家や出演者はもう一度考えて欲しい物だと思う。

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