司法の政治利用が過ぎないか

 もう沢山ありすぎてどれが最初なんて分らない。

 韓国の司法が出した差し押さえ判決。政治はそれを暗に支持しているよう。
「世界の先進国は皆そうだが、三権分立があり、韓国政府は司法判断を尊重する必要がある。日本は不満を表明することはできるが、基本的に不満があっても仕方ないという認識を示さなければいけない」
 これを法律の専門家が言えばそれなりの意味だろうが、韓国大統領が言えば政治的発言となろう。
 司法判断は判断基準となる法律、憲法による。条約もその一つの筈だ。だからここでの判決がどのルールをどのように適用したかを吟味する必要がある。
 この判決で言えば日韓条約の解釈をどうするかによる。その見解が政府と違えば、判決を尊重できるのだろうか?

 日本に騒音被害の判決がある。過去の騒音被害は補償するのに、未来の被害は放置する。そんな判決だ。この判決が憲法に違反することは明白だ。だが米軍機の飛行差し止めをすれば日米の条約に反する。少なくとも日本政府はその条約を支持しており、司法がそれに追随していると見ることは十分可能である。
 上記の韓国の例も、現政権が戦争被害に厳しい態度を取っていることは知られている事実である。

 もっとすごい事例は日産のゴーン氏の事例だ。フランスが日産をフランスの企業にしようとしたとか。今回の動きを見ればそれを阻止するための逮捕劇と見えてしまう。司法ではない検察がその主役であり、裁判所はそれに従って逮捕状を連発する。異常な事ではないのだろうか?


 こういった事が東アジアの特殊な地域に起こっていると思うだろうが、カナダ、アメリカでも起こるのだ。
 例のファーウェイの副社長拘留劇だ。カナダ政府は司法の問題であり政府は関係ないと宣言した。だがその劇は裁判所指示ではなくアメリカの依頼としてしまった。もう破綻そのものだ。
 そのためかどうかは知らないが、裁判所の判断が必要とか言って世界の話題から姿を消した。

 中国がカナダ人を複数名、理由も示さず逮捕したのはその報復という。これの真偽は分らないが、中国は3権分立ではないので、同列には語れない。

 司法の政治利用はかなり酷い状況になっているようだ。政治を国民の手に戻さないといけない。それには司法も含まれるのだろう。

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