教育関連改憲も最悪

 自民党の憲法検討はレベル低すぎと何時も思う。
高等教育などの無償化の明記は見送る一方、教育を受ける権利などを定めた憲法26条に新たに3項を新設し「教育は、人格の完成や幸福の追求に欠くことができないものだ」などとして「国は、教育環境の整備に努めなければならない」とする規定を盛り込んでいます。NHK
 国の義務があることは当たり前のことで、それを今さら追加すると言うことは、今の憲法にはないと思っているのだろうか?
第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
 国民の権利があると言うことはそれを実現する義務が国にあると言うことだ。自民党はそう思っていないのだろう。だから国立大学の授業料を際限なく上げ、奨学金の廃止を行ってきたのだろう。

 そしてさらにこんな事も考えるらしい。
これに対し出席者からは「経済的な理由にかかわらず、ひとしく教育を受ける権利を持つことを明記すべきだ」という意見が相次いだことから、26条1項に追加したうえで、21日、すべての議員を対象とする会合に、改めて条文案を提示し、取りまとめを目指すことになりました。NHK
 これが維新の要求であることは報道されている。
「日本国憲法 第二十六条」(改正案:赤字が改正点)
すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有し、経済的理由によって教育を受ける機会を奪われない。こちらから
 経済的理由のみが強調された事になる。だが原文の意味は経済的理由も含んだものだ。それは別の条文を見れば分る。
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
 ひとしくの意味はここにあるから、経済的理由だけではなくすべてにおいて等しく権利がある。例えば今、階層の固定化が問題視されているが、その原因は経済的な物だけではない。

 維新の教育無償化を自民党は予算がないとの理由で採用しないようだが、その条文は恐ろしい物だ。
法律に定める学校による教育は、すべて公の性質を有するものであり、幼児期の教育から高等教育に至るまで、法律の定めるところにより、これを無償とする。
 「公の性質」がこの性格を読み取るキーワードだ。公とは公安の公であり、国と読み替えるのが最も近い言葉だ。教育について国が責任を持つと小沢一郎は言ったが、国は教育を支配するとの宣言でもある。そして今大学の自治が危ないと大学が警鐘を鳴らしているが、国が金を出すのだから大学も国民も口を出すなとのサインでもある。これは恐ろしいことだ。
 自民党はこの点を考慮したのかは分らないが、見送られて良かったと言うべきだ。

 自民党はもう一つ改悪を策しているようだ。
公の支配に属さない教育事業などへの公金の支出を禁じている89条について「公の支配に属さない」という文言を「公の監督が及ばない」に改め、私立学校への助成が憲法に違反しないことを明確にするとしています。NHK
 条文を確認しよう。
第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
 この条文の後段については議論百出らしい。こちら参照そしてこれがGHQ発であることも確認した。支配を監督に変更するぐらいでは議論は収束しない事は明白だ。これにより私学助成が憲法に反しないとするには屁理屈が一千程度必要だろう。

 この条文からイメージするのはアメリカにおける教会の存在だ。この条文の私なりの解釈はこうだ。
宗教他は国民の精神世界に影響を及ぼす。公の支配が及ばないと言うことは国会などのチェックを受けない活動であって、内閣が補助を出すことによってその団体を支配することが可能となる。あの大戦で政府が現人神などによって国民に影響を及ぼしたことを再燃させないための条項だと理解する。
 これに関しては、政教分離の原則そしてもはや崩れ始めているが国民参加の教育委員会による教育管理、が表の条項である。
 なし崩しの解放は上記の懸念が具体的になる事だろう。

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