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zoom RSS 認知症母殺人事件 その後

<<   作成日時 : 2016/01/06 02:56   >>

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 昔のエントリー地裁が泣いた 認知症母殺人公判、その続きの地裁が泣いた 認知症母殺人公判 判決が出たは2006年のこと。

 その続きはもう無いと思っていたが、何とも悲しい続きだった。
2006年に京都市伏見区で起きた認知症の母殺害事件。承諾殺人罪に問われ、有罪判決を受けた長男(62)が14年8月、大津市の琵琶湖で命を落とした。親族によると、自殺とみられる。

 確定判決によると、長男は06年2月、伏見区の桂川河川敷で車いすに座る認知症の母親(当時86歳)の首を絞めて殺害した。自らも刃物で首を切り自殺を図ったが、助かった。

 長男は母親の介護のために会社を辞めて収入が途絶え、デイケアなどの介護費や約3万円のアパートの家賃も払えなくなった。役所に生活保護の相談もしたが断られていた。「もう生きられへん、ここで終わりや」と言う長男に「あかんか。一緒やで」と答える母親。長男の裁判で、検察側は犯行直前の2人のやり取りを明らかにした。被告の心情に寄り添うような検察側の姿勢もあり、事件は大きく報道された。

 京都地裁は06年7月、長男に懲役2年6月、執行猶予3年(求刑・懲役3年)を言い渡した。裁判官は「裁かれているのは日本の介護制度や行政だ」と長男に同情した。長男も法廷で「母の分まで生きたい」と約束した。

 それから約8年。長男はどう生活していたのか。親族らによると、長男は裁判の後、滋賀県草津市の家賃約2万2000円のアパートで1人暮らしを始め、木材会社で働いた。

 ■所持金数百円

 部屋には母親と事件前に病死した父親の位牌(いはい)を安置する仏壇を置いたが、事件のことを口にすることはなかった。勤務先の同僚は「真面目に黙々と仕事をこなした」。近所の男性は「誰かが訪れるのを見たことがない。孤独だったのでは」と話した。

 13年2月、「会社をクビになった」と親族に伝えたのを最後に、連絡が取れなくなった。

 親族が警察に行方不明者届を出したが、14年8月1日に遺体で見つかった。その日の朝、長男とみられる男性が琵琶湖大橋から湖に飛び降りるのを目撃した人がいたという。

 「彼は最後まで孤独から抜け出せなかった」。親族の男性は毎日新聞の取材に無念さをにじませた。男性によると、長男が亡くなる際に身に着けていたカバンには、自分と母親のへその緒、そして「一緒に焼いて欲しい」というメモ書きが入っていた。所持金は数百円で預金はなかった。「誰も頼ることもなく逝ってしまった。彼にとって何が必要だったのか分からなかった」。男性は唇をかんだ。
  毎日
 ひたすら、悲しい。そうとしか言いようがない。

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