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zoom RSS アメリカの圧力がまた一つ明らかに

<<   作成日時 : 2015/01/15 23:58   >>

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 こんなニュース。
1965年に当時の佐藤総理大臣が戦後初めて返還前の沖縄を訪問した際に行った演説の内容が、アメリカ側の強い要求を受けて直前に変更され、沖縄の安全保障上の重要性などを強調する内容が追加されていたことが、15日公開された外交文書で初めて明らかになりました。NHK
 少なくとも沖縄返還の時期には、自民党政権はアメリカの言いなりだったことが明確になった訳だが、それを今大きく取り上げるのは何故なのだろう?

 記事でのアメリカ側の発言を引用しておこう。
アメリカ大使館の参事官は「日本自身の安全保障にとっての沖縄の重要性に言及されていないことは何とかならないか」と不快感を伝えました。
アメリカの代理大使が外務省を訪れ、アメリカ政府の意向として「演説は、アメリカによる沖縄施政を軽視しており、改訂を申し入れる。このまま演説が行われれば、沖縄に関する日米協力関係に障害があり得る」などと迫りました。
 NHKはアメリカの主張として識者のコメントも挿入している。
国立公文書館アジア歴史資料センターの波多野澄雄センター長は「日本は直接沖縄県民に語りかけることを主眼に演説の文案を作った。しかし、アメリカにとって沖縄は極東戦略の拠点であり、日本の防衛の拠点でもあり、演説にそういう趣旨を是非書いてほしいという要望があった。日本とアメリカの沖縄に対する考えの違いがよく分かる」と
 アメリカにとって沖縄は基地をのせた土地以上のものではないと分ることだ。この件の少し前に何が起こっていたか、二つの単語に凝集される。

 一つは70年安保だ。
10年間の期限を迎えた日米安保条約が自動延長するに当たり、これを阻止して条約破棄を通告させようとする運動。学生の間では1968年(昭和43年)から1969年(昭和44年)にかけて全共闘や新左翼諸派の学生運動が全国的に盛んになっており、東大闘争、日大闘争を始め、全国の主要な国公立大学や私立大学ではバリケード封鎖が行われ、「70年安保粉砕」をスローガンとして大規模なデモンストレーションが全国で継続的に展開された。街頭闘争も盛んに行われ、新左翼の各派は、1967年(昭和42年)10月、11月の羽田闘争、1968年(昭和43年)1月の佐世保エンタープライズ帰港阻止闘争、4月の沖縄デー闘争、10月の新宿騒乱事件(騒乱罪適用)、1969年(昭和44年)4月の沖縄デー闘争、10月の国際反戦デー闘争、11月の佐藤首相訪米阻止闘争などの一連の闘争を「70年安保闘争の前哨戦」と位置づけて取り組み、「ヘルメットとゲバ棒」スタイルで武装し、投石や火炎瓶を使用して機動隊と戦った。wiki
 一つはコザ騒乱だ。
コザ暴動(コザぼうどう、Koza Riot)とは、1970年12月20日未明、アメリカ施政権下の沖縄のコザ市(現在の沖縄県沖縄市)で発生したアメリカ軍車両および施設に対する焼き討ち事件である。直接の契機は米軍人が沖縄人[3]をはねた交通事故であるが、その背景には米施政下での圧制、人権侵害に対する沖縄人の不満があった。コザ騒動(コザそうどう)、コザ事件(コザじけん)、コザ騒乱(コザそうらん)とも呼ばれる。
 アメリカは第二次世界大戦後沖縄を占領し、基地を作り世界戦略の基地とするつもりだった。沖縄は委任統治として永久に日本の戻すつもりはなかったと見ている。
 その自信を崩したのがコザ騒乱だ。同時に日本に安保条約を継続させ、その中で沖縄の基地を維持することがアメリカの選択であるわけだ。そのことを沖縄県民に宣言させることが今回明らかになった演説への介入であったわけだ。

 今マスコミがやっているように、背景を語らずして演説に対するアメリカの介入のみを報道することは、何を主張しているのか?
 こういったアメリカの圧力に屈することが戦後レジュームであるならば、今の政権はそれから脱して何をするのだろうか?

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