飯大蔵の言いたい事

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zoom RSS 戦後をよむ2014・夏 毎日新聞

<<   作成日時 : 2014/08/21 22:32   >>

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 戦後をよむ2014・夏と題して毎日新聞が上下で報じている。

 上は防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛氏が語る。これはやって来たと言うばかりで、考えるべきところは何も無い。

 下は埼玉大名誉教授・長谷川三千子氏が語る。これには考えるべき内容がある。

 なおwikiによれば日本の政治評論家、哲学者ということになっている。
 そして
不祥事
2013年にNHK経営委員に就任しているが、過去にNHKのクローズアップ現代での放送の内容に不満を訴えると共に受信料の支払いを拒否する意志を示していた事が明らかとなった
 と紹介されている。
 埼玉大学での紹介を探すとこんなものがあった。教養学部教授専門分野〇比較思想・日本文化論とあり、
埼玉大学につとめ始めて25年。その間、毎年、学生たちと『正法眼蔵』を読みつづけてきた。25年も読みつづければ、大概の本なら倦きがきてしまうところであるが、『正法眼蔵』は、何回読んでも倦きるということがない。毎春、新しいメンバーで新しいゼミのスタートを切るたびに、まったく新しいテキストを読み始めるような気分になる。
 どうも政治評論とは距離がありそうだ。その専門分野をNHK経営委員にどのような役立つのであろうか?

 さて内容だが、頭を少し飛ばして
 ●戦後の思考停止

 終戦翌年の1946年に生まれ、戦後教育に格別の疑問を持たずに育った。しかし東京大学在学中に大学紛争が起きたことが思想的な転機になった。ストライキを訴える学生大会で「お金を払って学びに来ている学生が、自分からストを起こすのはおかしい」と発言し、大ブーイングを浴びた。その時、戦後日本の思考停止による「奇妙なゆがみ」が見えてきたという。

 特に違和感を覚えたのが、戦争は「敵」同士の争いなのに、日本人が振り返ると「敵」が出てこず、日本人だけが一方的に悪行を働いたことになっている点だった。なぜ「ゆがみ」が生じたのか。約30年前の83年に、『中央公論』に発表した論文「戦後世代にとつての大東亜戦争」から、「ゆがみ」を追いかける日々が続いた。

 ●一方的な戦後処理

 第一次世界大戦では、敗戦国のドイツに全ての戦争責任を負わせて多額の賠償を求めた。第二次大戦でも自動的に敗戦国が戦争責任を負わされ、連合国が開いた極東国際軍事裁判などで、日本軍の上層部や閣僚、一般兵士が裁かれた。しかし、「このような一方的な戦後処理は、世界平和にとっては、むしろマイナスにしかならない。とにかく戦争に勝ちさえすればよい、ということになってしまう」と訴える。

 「平和主義」をうたった日本国憲法も、一方的な戦後処理の一環として定められた、との立場だ。特に一方的と感じるのは、一切の戦力の不保持を定めた憲法第9条2項で、「戦争を起こす可能性がある国が日本だけなら9条は『平和条項』と言えるが、実際には日本周辺にも軍事力で威嚇する国がある。戦勝国が戦敗国から国家主権の要である軍事力を奪う野蛮な条項であり、『力の思想』に基づく近代民主主義憲法としてはあってはならないものだ」と疑問の目を向ける
 現代の主流の考え方に反するものが多いが、私にはその指摘はもっともだと思うものが多くある。

「日本人だけが一方的に悪行を働いたことになっている」
「一方的な戦後処理」
「戦勝国が戦敗国から国家主権の要である軍事力を奪う野蛮な条項」

 歴史学としても議論の対象であるし、現在の政治的立場としても議論の対象になるだろう。だが現在の政治的立場として公の職に就くものが議論を始めたらどうなるのか、そこへの言及が重要なのである。

 続いて
他方、日本人の精神史という観点から注目したのが、45年8月15日に昭和天皇の玉音放送が流れた直後の日本国民の精神の動きだ。終戦の瞬間を取り上げたさまざまな文学や詩、評論などを分析し、日本人の精神構造を読み解くことに取り組み、昨年7月に刊行した『神やぶれたまはず−−昭和二十年八月十五日正午』にまとめた。

 本土決戦で命を投げ出すつもりだった人々に対し、昭和天皇は玉音放送で「生きよ」と語りかけ、国民には絶望と憤りが生まれた。しかし実はその瞬間は、天皇陛下と国民が、互いの命を救うために自らの命を投げ出すという決意によって成り立った「稀有(けう)の瞬間」であった。それを見つめることで、戦後の日本人の心のうちにわだかまるものを解きほぐすことができればいい−−と考えた。
 これ以前は賛否は別にして議論としては理解できたが、さすがにこれは無理だ。
 
 「天皇陛下と国民が、互いの命を救うために自らの命を投げ出す」を私なりに解説すればこうだ。
アメリカ軍が本土に迫り日本国民は天皇を守るために命を投げ出すことを厭わず本土決戦をしようとしていた。天皇は国民を守るために自身の命を顧みず国民のために降伏した。
 当時の皇民教育は徹底していたが、私の知ってる当時の大人はそんなことは考えていなかったみたい。
 おそらく筆者の周辺の大人たちがそんなことを言っていたと想像する。玉音放送を行うときも本土決戦を主張する人たちが多く、非常に危なかったという。そのような人たちはかなりの数いたことだろう。

 最後はなぜか賛同できることが多い。
●議論を突き詰めよ

 現状を打破するにはどうすればいいのか。「9条を世界に誇る日本思想だと言うなら、近代憲法の『力の思想』も含めてとことん突き詰めて議論してほしい。立場の違いを超えて自由闊達(かったつ)に論議が行われる時、戦後の思考停止は終わったと言える」

 安倍首相が掲げた憲法改正は、今年7月に集団的自衛権を容認する解釈改憲を閣議決定し、急場をしのいだ。こうした憲法解釈のつぎはぎではなく、あるべき憲法の姿を幅広く議論できる日は来るだろうか。
 自由闊達に憲法解釈のつぎはぎではなく、あるべき憲法の姿を幅広く議論するべきだと私も思う。NHK経営委員だったら、つぎはぎの憲法解釈を褒めるのではなく自由な議論ができるようにするべきだろう。

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