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zoom RSS 集団的自衛権容認の理屈?

<<   作成日時 : 2014/07/04 23:11   >>

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 安倍首相や石破幹事長なんかの集団的自衛権容認の理屈がおかしいと何度も書いてきたような気がする。だが今回の閣議決定にどちらかといえば否定的な毎日新聞の論説委員が書くとなると、考えてしまう。
 金言:戦争体験が抑止に=西川恵  (客員編集委員)
毎日新聞 2014年07月04日 東京朝刊

 がその記事だ。
 wikiによれば
 彼は毎日新聞の社員であった。パリなどの支局に勤務し、フランス語を解する国際経験豊かな記者だ。年齢から見て定年後のようだ。
 だから健全な論理を持つはずなのだが?

 こんなことを言う。
集団的自衛権の行使容認は日本が直面する課題に対して出した一つの回答といえるだろう。第一は、日本周辺の安全保障環境の悪化にどう対処するかの回答。

第一の点でいえば、中国の軍事力増強と威圧的姿勢の強まりが、日本政府の集団的自衛権容認を後押ししたのは間違いない。防衛費の大幅増は非現実的。米国は軍事費を削減し、存在感を低下させている。それならば自衛隊の活動を広げ、抑止力を向上させようというのである。

 集団的自衛権は攻撃力(矛)を高めるものではない。「無法の既成事実を突きつけることは非常に危険だ」ということを威圧的な相手に考えさせるためのいわば防御的な盾である。自衛隊が米艦を守ることで戦争に巻き込まれるというのは理屈ではあり得るだろう。しかしまず盾を固め、隙(すき)を見せないことが抑止力の上では重要だと思われる。
 「日本周辺の安全保障環境の悪化」は「無法の既成事実を突きつけること」というように中国のことだ。
 それに対抗するのに、日本が防衛費を増やすことはせず、活動を広げて、抑止力を向上させるという。これぞ安く抑止力を向上させる秘策なのだろうか?これが出来ればまだましというものだ。

 「集団的自衛権は攻撃力(矛)を高めるものではない」ことは正しい。そして敵でなかったものを攻撃することで、「巻き込まれる」こともあり得ることだ。(これは巻き込まれるとは言わない。敵が反撃するというのだ。)
 だが集団的自衛権の行使により抑止力が向上することをまったく説明していない。「まず盾を固め、隙(すき)を見せないことが抑止力の上では重要だと思われる。」は確かだが、これが集団的自衛権行使で実現できるのか、説明もない。

 第一オバマ大統領は中国との健全な関係を再三主張している。日中の領土争いには関与しないと散々行っている。その相手が中国相手の抑止力を向上させるのか?
 それに触れた説明を少しでもするべきだろう。

 第2の点もあるそうだ。
集団的自衛権の行使容認は日本が直面する課題に対して出した一つの回答といえるだろう。第二は、日本はもっと国際貢献を、という国際社会からの要請に対する回答である。

 第二の国際貢献で、私の念頭にあるのは国連平和維持活動(PKO)だ。PKOはかつては紛争当事国の兵力引き離しと停戦監視が主たる任務だった。しかし今ではPKOは現場に深く関与し、犯罪の取り締まりから民心安定まで担うなど任務は多岐にわたる。しかし武器使用が制限されている自衛隊は他国部隊に守られた活動しかできず、派遣先も限られていた。

 PKOに参加した自衛隊の能力の高さは国連や多くの国が認める。しかし一方で「日本はもっと積極的に貢献をしてほしい」というのが国際社会の感想だった。「日本が国際的に期待されているということが日本国内でまったく認識されていないことに驚いた」と、来日した国連機関の長は私に言った。今回、駆けつけ警護や、任務遂行のための武器使用が可能になったことで、日本のPKO活動の幅は広がるだろう。
 PKOの形が変わってきたことは事実だろう。国連のルールで言えば、戦闘状態であれば侵略国に対して国連軍を組織して軍事行動を行う。停戦後はそれを維持するためにPKO(平和維持)を行う。その時の騒乱は戦争ではなく警察力の範囲内である。
 それが本来の形なのだが、テロとの戦いの中ではまだ戦争状態でもPKOと称して派遣している。日本は厳密に非戦争状態でのみ活動する。この違いが「国際社会」なるものにいろんな主張を起こさせているのだろう。

 その「国際社会」なるものの殆どが「アメリカ」を意味することは最早常識だろう。日本が外交的にどう振舞うべきなのかはいろんな判断があると思う。
 だが、今回の閣議決定が日本の何かを直接守るためというのに、「国際社会」が要望するからと行うとはいささか筋違いというべきではないだろうか。しかもその表現が「国際社会の感想だった。」とはあまりにもへたれではないのか。

 最後はこんなものだ。
私は集団的自衛権の解釈が限定的なこと、日本の置かれた厳しい安全保障環境、国際貢献にもっと積極的であるべきだとの点から、集団的自衛権は容認する立場だ。これがなし崩しの拡大解釈につながる懸念はあまりない。いざという時は日本人のDNAに刷り込まれた「悲惨な戦争体験」が抑止として働くと思っているからだ。
 あの戦争のとき、アメリカに宣戦布告をするまでにも長年戦争をしてきた。にもかかわらず国民を煽り立ててなし崩しに拡大したと、毎日新聞も大いに反省したはずだ。戦後の毎日新聞にいた著者もその一人のはずだ。そういったことを完全に忘れた表現は、ジャーナリストの責任放棄に近いのではないのか。

 国際経験豊かな記者がこんなものを書くのかと思えば気持ちが暗くなる。

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