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zoom RSS 東電OL殺人事件はなぜ再審となったのだろうか

<<   作成日時 : 2012/06/07 21:28   >>

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 東電OL殺人事件がなぜ再審となったのか、はっきりしません。クローズアップ現代でも30分も放送時間があったにも関わらず核心部分には触れずじまいでした。

 もう一つの問題となった1審無罪後の拘留については一応問題視はしていた。だがそれも核心部分はスルーだ。

 再審となった理由はこのように報道されている。
高検の鑑定で昨年7月、遺体内の体液から第三者のDNA型が検出され、現場の体毛と一致したことが判明。この型は遺体の付着物や下着からも検出された。

 弁護側は鑑定結果を「無罪とすべき新証拠」として提出。高検は「衣服などについた体毛が、現場に持ち込まれた可能性がある」と主張し、「確定判決は揺るがない」としていた。産経
 高検が鑑定した証拠を弁護側が提出した事によるそうだ。これだけでもどこか変だ。

 無限回廊のページに事件の概要がある。事件の発見が3月19日、事件の発生が3月8日、もし外国人が犯人だったら逃げるだろう。ましてオーバーステイだったら逃げるだろう。そもそも変だ。

 無実のゴビンダさんを支える会のHPがある。再審までの経緯を記したものがある。

 2005年3月24日の再審請求の文章だ。
有罪の根拠とされた押尾鑑定をくつがえす新鑑定
 今回、弁護団が新証拠として提出したのは、現場に残されていたゴビンダさんの体液が事件当日より10日以上も前のものであることを示す法医学の専門家による鑑定書(押田鑑定)。これが採用されれば、控訴審の逆転有罪認定の証拠構造はまったく覆ります。弁護団はこの新証拠にもとづき裁判所に事実調べを行うよう要求し、被害者のバッグの取っ手についている真犯人のDNAを最新の方法で鑑定するため検察に証拠開示を求めていく方針です。
 ここで言っている新証拠は今のものとはまるで違う。すなわち当時は今の証拠である遺体内の体液などを弁護側が知らなかった事を意味している。

 バッグについては高裁判決文に次の記載がある。
当夜、被害者とホテルヘ行った前記常連客は、その際、本件ショルダーバックの取っ手に異常がなかったことを確認しているが、3月19日の実況見分時には、取っ手が千切れていた。右取っ手(以下「本件取っ手」という)は、皮製で径1.3センチメートル程の細長い筒状をなし、芯には硬質ゴム様の詰物がしてあって、その中心に直径約0.3センチメートルの針金が入っているが、取っ手を繋ぐバッグの金具の近くで完全に千切ったように破断していて、かなり強い力で引っ張ったことを窺わせる状況にあった。本件取っ手に付着する物質をセロテープで採取しその血液型を分析したところ、その中央部を中心にB型物質の付着を認めた。
 判決文にある提出された証拠を弁護側が知っている訳だ。提出されない証拠はその存在さえ弁護側は知ることはない。知らないものを要求は出来ない。

 そして新証拠はこんな事から始まったようだ
2011年7月21日の讀賣新聞朝刊は、「東電OL事件、再審の可能性…別人DNA検出」との大見出しで一面トップに概略以下のような記事を掲載しました。

   再審請求審で、東京高検が、被害者の体から採取された精液などのDNA鑑定を行った結果、精液は同受刑者以外の男性のもので、そのDNA型が殺害現場に残された体毛と一致したことがわかった。
 「(マイナリ受刑者以外の)第三者が被害者と現場の部屋に入ったとは考えがたい」とした確定判決に誤りがあった可能性を示す新たな事実で、再審開始の公算が出てきた。

 検察が行ったDNA鑑定の結果が、弁護団にも裁判所にも報告される前に、新聞報道された経緯は定かでありません。しかし、検察はこの内容が虚偽であると否定はせず、これが事実であることを前提としていると考えるしかないコメントを繰り返しました。したがって私たちは、現時点では報じられた内容が基本的に事実であると認識しています。
 私たちは、まずこの鑑定結果が直ちに弁護団と裁判所に開示されることを強く求めます。検察も開示の意向を示してはいますが、たとえ一日でも遅れることは、裁判の公正さを担保する上で許し難い怠慢です。
 全く唐突に弁護側の有利になる証拠が高検側から出てきたと言うことだ。  なぜ???

 この事件で地裁無罪の頃、石原慎太郎東京都知事が「三国人の犯罪うんぬん」と発言して騒ぎになったそうだ。その影響はいかに?
 そして近年は布川事件とか氷見事件とか冤罪事件が明らかになった。その影響はいかに?しかしとにかくこの時期に高検が新証拠を出したのだ。

 この事件は検察、裁判所がぐるになって冤罪を作った犯罪だ。こういうものに対してこそ法務大臣の権限で調査をするべきものだ。こういったことを是正しない限り、日本に民主主義は復活できない。

 NHKは警察の思い込み捜査という過失のせいだと、裁判所も同じく過失をしたと断定する。だがその断定の根拠は何もない。証拠を隠すことは今の法律の通りだとしても、証拠を隠すことによって冤罪を作ってもそれを非難すらしない。だから、そんなマスコミも是正しないと日本に民主主義は復活しないわけだ。

 再審の過程も含め、証拠を隠したことも隠すマスコミ報道に今回の事件の奥深さが示されていると思う。


 

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内 容 ニックネーム/日時
 私は、戦後英米法系の当事者主義の刑事訴訟法に改正されたときに、形だけ真似て、スピリットが伝わらなかったのが大きな原因の一つではないか?、と思うのです。

 戦前の刑事訴訟手続は職権主義だったわけです。職権主義というのは、戦後刑事訴訟法の大家、平野龍一教授の分類によれば、探究者と判断者が一致するシステムのことです。

 テレビで、大岡越前とかを見たことがある人は多いと思いますが、自分で捜査して、自分で裁判しているでしょう?
 自分で探究して自分で判断しているわけです。

 このシステムにおいては、「真実の発見」が第一とされます。それも、無罪の発見という消極面ではなく、社会秩序維持の観点から、確実に犯人を発見して処罰するという点に関心が置かれます(実体的真実主義)。

 が、無実の立証も、探究者=判断者であるところの裁判所が行うわけです。この場合は、捜査機関も裁判所の一部のイメージです。

 以上の職権主義は、ヨーロッパの大陸法の流れです。フランスとか、ドイツとか、そういったヨーロッパ大陸法の流れです。

 これに対して、英米法では、当事者主義を採用していて探究者と判断者が別なのです。そして、実体的真実の発見ではなく、裁判においては、訴追側の主張、立証に対して、無辜の市民が処罰されないよう十分な挑戦的な防御の機会が手続的に保障されます。
 つまり、犯人を確実に処罰するべく実体的真実を発見するという点ではなく、無辜が処罰されないようにする適正手続が重視されます。実体的真実主義に対して適正手続主義です。

 実体的真実主義、適正手続主義のモデル化は、平野龍一先生の直弟子の田宮裕先生が広めたと中心となって広めたと言えると思います。これは詳しい説明は省きますが、捜査段階にも及ぶモデル化です。
サイン
2012/06/07 23:46


続きA) 職権主義においては、探究者と判断者が一致していて、探究者(捜査機関)の集めた証拠が全部判断者(裁判所)に引き継がれるわけです。

 当然、被告人に不利な証拠も引き継がれます。これは裁判の前に引き継がれて、その証拠も見た上で、裁判所は真理をします。

 ですから、最初から嫌疑を持っています。無罪推定の原則は妥当しません。

 ただ、このシステムでは、犯人を確実に処罰するという積極的な実体的真実の発見を重視しているのですが、被告人に不利な証拠も裁判所に上がってくるというシステムですから、無辜の不処罰ということも裁判所で実現するということも想定はされています。

 ところが、このシステムは、探究者と判断者が一致しているので、どうしても、国家的観点からしか被告人を観ないということになりがちです。

 当事者主義では、無辜の不処罰という理念を背景にした適正手続主義の下、被告人の側からも光を当てようとするわけです。

 しかし、そのため、探究者(警察・検察)が集めた証拠が、公判の始まる前に判断者たる裁判所に引き継がれません。

 被告人は公判審理が始まるときには、無罪の推定(仮定)がなされます。

 検察はある歴史的事実から特定の事実を切り取ってそれを犯罪事実として主張し(訴因と言います)、その訴因を立証するべく検察官は証拠を提出します。

 被告人は無罪と仮定されていますから、検察官が有罪立証の責任を負います。

 弁護人は、その検察官の有罪立証に合理的疑いを差し挟む立証を行います。

 この当事者主義のシステムの下では、裁判所に提出されない証拠が出てくることは制度上想定されているわけです。
サイン
2012/06/08 00:27



続きB) (ちなみに、刑事訴訟では、「被告人」と使います。「被告」は民事訴訟です。また、弁護士ではなく弁護「人」です。マスコミはよく間違えています。)

 しかし、日本においては、当事者主義の訴訟手続の伝統が、ずっとないのです。江戸時代から、ある種の職権主義ですし、また、明治維新後も刑事訴訟は職権主義でした。

 だから、戦後当事者主義が導入されたときも、裁判所、検察は、『民事』訴訟の当事者主義と同じように運用したのではないかと思うのです。

 否、形は民事訴訟で、しかし、スピリットは、それまでの実体的真実主義なのです。

 それで、民事訴訟を考えてみてください。

 例えば、裁判において、債権者は借金の債務者がお金を払う資力がないので、保証契約の成立に基づいて、保証人に対し、義務履行迫ったとします。

 ところが、債権者は契約書を紛失してしまって、持っていない。

 他方、保証人は、契約書を持っている。

 こういう場合に、保証人は自己に不利な証拠(保証契約書)を裁判所に提出する義務はあるでしょうか?

 (ちなみに、保証契約というのは、一般社会の通念とは違って、債務者と保証人との間の契約ではなく、債権者と保証人との間の契約です。債務者が保証人に保証を頼む場合には、債権者と保証人との間の保証契約の委託をしているという関係になります)。

 これはないのですね。隠していてもいいんです。

 当事者双方は、対等な立場にあって、相互に証拠を集め、相互に戦って、裁判所は事実認定をすればよいわけです。トランプゲームみたいなものです。出したいカードを出せばよい。

 だから、日頃から、当事者は証拠を残し無くさないように注意しておくわけです。残すも残さないも自由ですが自己責任です。
サイン
2012/06/08 00:44


続きC) これは、戦後すぐのころの話をしているわけです。

 平成10年1月1日から「新」民事訴訟法が施行され、私文書について文書提出義務が原則一般義務化され、また、平成13年12月1日施行の改正法から、公文書についても原則一般義務化されています。

 したがって、文書を所持しない訴訟当事者は裁判所に文書提出命令を申し立てて、相手方当事者に文書を提出させることが原則できます(第三者が文書を所持している場合もありますが訴訟当事者を例にとります)。

 しかし、文書提出命令の申し立ては文書を特定しておこないます。文書の表示・趣旨を明らかにする必要があります。

 なお、「新」民事訴訟法では、文書特定のための手続きという制度もあるのですが、その場合でも「ああ、あの文書だな」と、相手方当事者が識別できる事項を明らかにする必要があります。明らかにすれば、裁判所は、文書の所持者である訴訟当事者に、文書の表示・趣旨を明らかにすることを要求することができます。もっとも、その要求に応じない場合のサンクション(制裁)がなく、要求に応じなければ文書提出命令の申し立てが却下されます。よって、現行法では文書の表示・趣旨による特定が文書提出命令の要件です。

 さて、このことを前提に、次のように言われています。裁判官の方が書かれたものです。

★★★ 引用開始 ★★★

 …この文書提出命令の申立てというのは、複雑な事件の場合、相手方がしばしば使用する法的手段であります。

 どのように使用するかと言いますと、当方がどんな文書を持っているか分からないため、当方の手持ち証拠を知りたいという目的で文書提出命令の申し立てをしてくることが多いのです。
 
(続く)
サイン
2012/06/08 03:22


続きD) そういう場合、相手方がどういう文書提出命令申立てをしてくるかというと、「これこれに関する文書一切」としてくるものです。

 しかし、この申立ては、文書の特定もされていないわけで、このような申立てを受けた場合は、まず、如何なる文書であるかというようなことにつき、求釈明をし、場合によっては意見書を提出することも考える必要があります。なお、新しい民訴法では222条で「文書の特定のための手続」が新たに設けられました。

 ところで、相手方は、今言いましたように当方の手持ち証拠を明らかにせよという意味で文書提出命令の申し立てをしてくることがありますが、そういうことは現在の日本の民事訴訟法は定めていません。

 このように、一方当事者がどういう証拠を持っているかと相手方に教えることを「証拠開示(ディスカバリー、Discovery)」と言いますが、アメリカでは証拠開示の制度がとられているようであり、今回の民事訴訟法の改正でも、この証拠開示の手続を認めるべきかどうかということが一つの議論になりましたが、結局、採用されるに至りませんでした。

 つまり、現在の民事訴訟法の建前では、証拠開示の条文はないということで対応することになります。

「わかりやすい民事証拠法概説 新版」(中野哲弘著)54頁以下

★★★ 引用終わり ★★★
サイン
2012/06/08 03:30


続きE) 次のような記述も紹介します。

○○○ 引用開始 ○○○

 米国においては、民事訴訟の当事者間において、原則として相手方の保持している証拠について提出等を受けることができます。

 この手続は、ディスカバリー(以下、「証拠開示」という)といわれています。この証拠開示の範囲は、きわめて広範なもの(具体的には、米国においては、文書の提出、質問書に対する回答、証言録取などまで含む)と認識されていて、わが国の裁判の様相とは、全く異なるものということができるでしょう。

 この手続を支える理念は、米国だけではなく、コモンロー諸国に、共通するものであり、現実に、証拠開示の手続は、程度の差こそあれ、コモンロー諸国に採用されています。(英国においても、導入さています。また、シンガポールでも、電子文書がディスカバリの対象となることを前提としています)

 コモンローの国におけるディスカバリーの理念を示す言葉は、「トランプを表に(Cards face up on the table)」という言葉で象徴されるということができるでしょう。

 英国のJohn Donaldson 卿(記録長官)は、Davis v Eli Lily & co.[1987]事件において、

 「平易な言葉でいえば、この国での訴訟は『トランプを表向き』にして行われる。他の国からきた人のなかには、これを理解できないことというひともいる。『何故』彼らは言う。『相手方に私をうちまかす手段をあたえよ、というのか』と。勿論(その通りである)、その答えは、訴訟は、戦争でなければゲームでさえもない。訴訟は対立する当事者に真の正義を行うよう構築されており、もし、裁判所が関連するすべての情報を有していなかったなら、この目的を果たしえないのである」

と述べています。…以下略…

サイン
2012/06/08 03:56


続きF) (直前の「…以下略…」は間違いです。削除して下さい。)

 これに対してわが国では、自動的な開示制度のようなものは、わが国においては採用されていません。…以下略…

 「訴訟は、闘争であり、当事者は相手に打ち勝つために渾身の力をふりしぼって戦い、そして法的闘技の場から戦塵がおさまると正義が勝ち誇ったように顕れる」という理論は、「論争的裁判の理論」といわれていますが、日本における法曹の実際の行動の念頭には、このような観点があるのかもしれません。

 しかしながら、コモンローの国での裁判と根本的な認識が違うように思われます。

http://www.comit.jp/BLTJ/civilpro/LS/kiso.htm

○○○ 引用終わり ○○○

 日本の民事訴訟法における文書提出義務は、「文書の所持者の国家に対する公法上の義務」です。つまり、文書を所持する訴訟当事者が相手方に負う義務ではありません。

 証拠開示をした場合に、裁判所が審理前にその証拠に目を通すならば、捜査機関(探究者)から証拠を引き継いで裁判所(判断者)が判断するという職権主義になってしまいます。

 しかし、検察官が、被告人に対し証拠開示の義務を負い(その反面として被告人が検察官に証拠開示請求権を持つ)、公判審理前に、裁判所に証拠を見せないならば、何ら職権主義とは言えません。

 探究者と判断者は分離したままだからです。
サイン
2012/06/08 04:25
 ちなみに、証拠隠しとしては、松川事件の諏訪メモが著名です。次の記事が分かりやすいと思います。http://shuntarotorigoe.blogspot.jp/2011/04/blog-post_27.html

 今回の件が冤罪ならば(その可能性は高いですが)、古くからある冤罪のパターンと言えると思います。

 結論として、当事者主義を採用する以上は、「トランプを表にして隠さない」という英米法的スピリットをまず押さえないといけないと思います。

 ババ抜きのようなゲームならばババは相手に見せません。見せたら負けます。

 しかし訴訟はそういうゲームではなく、正義を実現する手続であり、特に刑事訴訟においては、トランプを表にしてさらけ出すことが無辜の不処罰を目的とするデュープロセス(適正手続)と結びついているということと理解されます。

 対応策としては、証拠開示の範囲を広げるばかりでなく、判検交流を止める(判事が検事になってまた判事になったりします)、むしろ英米法系の法曹一元制を採用する(弁護士の中から人格・識見の高い者を裁判官にする)というのが妥当と思います。

 憲法80条1項は、「下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を10年とし、再任されることができる。」と規定していて、下級審の裁判官の任期を10年としています。
 これはキャリアシステムでないことは明らかです。終身雇用の職業裁判官制度を予定したものとは言えません。アメリカの法曹一元制を念頭において初めてすっきりと理解できると思います。
サイン
2012/06/08 04:57


続きG) 少し訂正します。

 先に「保証人は自己に不利な証拠(保証契約書)を裁判所に提出する義務はあるでしょうか?…これはないのですね。隠していてもいいんです。」と書きました(「新」民事訴訟法の話ではなく「旧」民事訴訟法の話です)。
 
 しかし、保証契約書の場合、挙証者と所持人との法律関係について作成された文書ということで、「例外的に」裁判所に文書を提出する一般的義務がある場合と思います。

 しかし、新民事訴訟法ですら、上に引用しましたように、文書を特定しないで申し立てる文書提出命令が認められないのですから、旧法下においては、例えば原告が、何か被告に証拠がないかな?という感じで「手持ち証拠を明らかにせよ」と申し立てても、それに応じて保証契約書その他の手持ち証拠を開示する必要はないことになります。

 つまり、英米法のディスカバリーの制度は旧民事訴訟法下においてもありませんでした。
サイン
2012/06/08 10:38

続きH) また、提出義務があるといっても、それは実際には、債権者の側が、文書(保証契約書)を特定して文書提出命令を申し立てて、裁判所が文書提出命令を発した場合に、保証人が文書を提出するという関係に立ちます。

 ですから、債権者の方が申立てない限りは、保証人の方が積極的に文書を裁判所に提出する必要はないと理解されます(これは検証受忍義務などとの対比から理解することができます)。

 隠していてもよいわけです。

 先に述べましたが、日本においては、

 「当事者双方は、対等な立場にあって、相互に証拠を集め、相互に戦って、裁判所は事実認定をすればよいわけです。トランプゲームみたいなものです。出したいカードを出せばよい。

 だから、日頃から、当事者は証拠を残し無くさないように注意しておくわけです。残すも残さないも自由ですが自己責任です。」

 となります。

 これは新民事訴訟法下において、一般的な文章提出義務がある場合にも同じように運用されていると考えてよいと思います。

 ですから、「トランプを表にして隠さない」という英米法的スピリットは、日本法においては、民事訴訟法にも受け継がれていないのです(ただしある程度は英米法の影響が入ってきていますが。まだまだだと思います。)。
 ドイツなどの大陸法の影響が強いと思います。

 その大陸法的な、特に旧法下の大陸法的な民事訴訟法的当事者主義をそのまま刑事訴訟に持ち込んでしまったのではないかと思うのです。
サイン
2012/06/08 10:59


続きI) 刑事訴訟法の証拠開示について最高裁判所は以下のように述べています。http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319115804894343.pdf(裁判所のWEB内にあるPDF)

★★★ 引用開始 ★★★

 本件のように

 @証拠調の段階に入つた後、

 A弁護人から、具体的必要性を示して、一定の証拠を弁護人に閲覧させるよう検察官に命ぜられたい旨の申出がなされた場合、

 B事案の性質、審理の状況、閲覧を求める証拠の種類および内容、閲覧の時期、程度および方法、その他諸般の事情を勘案し、その閲覧が被告人の防禦のため特に重要であり、かつこれにより罪証隠滅、証人威迫等の弊害を招来するおそれがなく、相当と認めるときは、

 Cその訴訟指揮権に基づき、検察官に対し、その所持する証拠を弁護人に閲覧させるよう命ずることができるものと解すべきである。

★★★ 引用終わり ★★★

 昭和44年4月25日 最高裁判所第二小法廷 決定 です。

 1969年ですね。ちょっと後でアメリカの連邦最高裁と対比するかもしれませんので、覚えておいて頂ければと思います(時間等の都合で対比しないかもしれません)。

 @〜Cは、田宮裕先生の分類を参考にしつつ、私がつけました。

 なお、この判例においては、「昭和三四年(し)第七一号同三五年二月九日第三小法廷決定は、裁判所が、検察官に対し、相手方に証拠を閲覧させるべき旨の命令を発しなかつた事案において、検察官にはあらかじめ進んで相手方に証拠を閲覧させる義務がなく、弁護人にもその閲覧請求権がないことを判示した」として、この判示はそのまま踏襲しています。
サイン
2012/06/08 17:32


続きJ) つまり、弁護人から検察官に対する証拠開示請求権はなく、検察官に弁護人に対する証拠開示義務はなく、上記Cのように裁判所の訴訟指揮権による個別開示命令なのです。

また、この判例では、「所論引用の当裁判所昭和三四年(し)第六〇号同年一二月二六日第三小法廷決定は、いまだ冒頭手続にも入らない段階において、検察官に対し、その手持証拠全部を相手方に閲覧させるよう命じた事案に関するものであり」としていて、公判審理の冒頭手続前の開示を否定する昭和34年12月26日最高裁決定を踏襲しています。

ですから、先に私が述べましたように、探求者(捜査機関)と判断者(裁判所)を分ける当事者主義の下でも、被告人が検察官に対し証拠開示請求権を有し、検察官が被告人に義務を負い、公判審理前(あるいは公判審理中)に、検察官が被告人に証拠を開示し、裁判所の目に触れないならば、何ら当事者主義には反しない、という論法はとっていないのです。

むしろ、裁判所の訴訟指揮権による個別証拠開示命令という形式ですので、職権主義であるという批判をする人もいます。

さて、この判例の読み方ですが、刑事訴訟法のリベラル的な大家、田宮裕先生はこうおっしゃっています。

★★★ 引用開始 ★★★

㋑ 証拠調べに入らない段階では許されないか。そう解することもできるが、@は当該事案に関する判示で、それ以外については許されないとする趣旨ではなく、黙しているだけだとも読めよう(もっとも、冒頭手続前については、昭和34年決定が働くが)。

サイン
2012/06/08 17:49


続きK) ㋺ 「一定の証拠」とはどの範囲のものをさすか。「特定の」というよりは広いことはたしかなので、申し出の積み重ねにより、事実上全面開示に近い結果を生み出す余地があるかもしれないが(もちろん、一括全面開示は否定されたというべきだろう)、他方、厳格に運用されれば、特定性を要求する場合と変りがないことにもなりうる。

 ㋩ 防御のための重要性と罪証隠滅などの弊害を考慮して相当性を判断するのであるが、それが裁判所の裁量に委ねられている以上、不安定な要素が残らざるをえない。

 これを要するに、裁判所の裁量を本質とする訴訟指揮権による処理である以上、判例の示す要件はゆるやかな解釈をいれる余地がある。とくに㋩の解釈いかんでは、全面開示論に近い運用から、開示否定論に近い運用まで可能だという指摘もあるほどである(刑事公判〔村上保之助〕147頁)。

 もっとも、その後の下級審裁判例の動向を眺めると、全体としてかなり厳格に運用がなされ、そのように制限された形で定着しつつある

 「刑事訴訟法 新版」有斐閣271頁

★★★ 引用終わり ★★★

 特に㋺に注目して下さい。先に述べました民事訴訟における文書提出命令における文書の「特定」の話とリンクさせると理解しやすいと思います。

 この最高裁判例の「一定の証拠」の範囲が運用において広くなれば、冤罪の危険も減少しようかと思います。ただ、上の田宮裕先生の文章で書かれていますように、下級審の裁判例は、全体としてかなり厳格な運用がなされ、制限されたかたちで定着しつつあるわけです。

 以上を観るに、現在の日本の刑事システムは、運用次第で英米法的当事者主義にある程度近づくことはできますが、現在の状況では大陸法的な当事者主義と思います。
サイン
2012/06/08 17:56


続きL) 基本発想(あくまで基本)としては、訴訟を検察官と被告人が争うゲームのように捉えて、トランプゲームのババ抜きにおいて、ババを表にして見せたら負けるから見せないのと同じように、検察に不利益な証拠は見せないのです。

 対比のために、先に引用した文章をもう一度引用します。

★★★ 引用開始 ★★★

 コモンローの国におけるディスカバリーの理念を示す言葉は、「トランプを表に(Cards face up on the table)」という言葉で象徴されるということができるでしょう。

 英国のJohn Donaldson 卿(記録長官)は、Davis v Eli Lily & co.[1987]事件において、

 「平易な言葉でいえば、この国での訴訟は『トランプを表向き』にして行われる。他の国からきた人のなかには、これを理解できないことというひともいる。

 『何故』彼らは言う。『相手方に私をうちまかす手段をあたえよ、というのか』と。

 勿論(その通りである)、その答えは、訴訟は、戦争でなければゲームでさえもない。

 訴訟は対立する当事者に真の正義を行うよう構築されており、もし、裁判所が関連するすべての情報を有していなかったなら、この目的を果たしえないのである」

 と述べています。

 http://www.comit.jp/BLTJ/civilpro/LS/kiso.htm

★★★ 引用終わり ★★★

 ここに言う正義というのは、手続的正義と理解され、何が何でも犯人を処罰する実体的真実主義ではないわけです。無辜の市民を処罰しないように適正な手続を保障するデュープロセスの理念です。それを基礎とする当事者主義と理解できます。
サイン
2012/06/08 18:04
 アメリカの連邦最高裁はこう述べています。

○○○ 引用開始 ○○○

 1963年Brady v. Maryland事件最高裁判決

 @「検察官たちは、証拠が有罪又は懲罰の判決に影響する重要な証拠(material evidence)である場合に、被告人に有利な証拠を提出する憲法上の義務を有する」

 A「社会は、有罪判決が下されたときだけでなく、犯罪の審判が公正であるときに勝利する。いかなる被告人も不公正に扱われるとき、私たちの司法システムは損なわれるのだ。検察官が、被告人の要請により、それが開示されたならば、被告人の無罪を証明しているか刑罰を軽減するような重要な証拠を隠蔽することは、被告人に大きく負担を与える裁判を作り上げることを補助していることになる」

 http://fugathegameplayer.blog51.fc2.com/blog-entry-209.html(@、Aは私が付記)

 ○○○ 引用終わり ○○○

 より詳しくは、http://www.waseda.jp/hiken/jp/public/review/pdf/41/03/ronbun/A04408055-00-041030154.pdfのWディスカヴァリー(証拠開示)をお読みください。

 このアメリカの連邦最高裁から明らかなことは、日本の最高裁とは違って、被告人から検察官に対する証拠開示請求権を認め、検察官に被告人に対する証拠開示義務を認めていることです。

 また、「被告人に有利な証拠を提出する憲法上の義務を有する」とまで述べているわけです。

 その後の連邦最高裁の理由付け(A)を観ても、「トランプを表にする」という無辜の市民を処罰しないように適正手続を保障するという正義の理念が貫かれていることが理解できると思います。
サイン
2012/06/08 18:13
 
 

 ところで、平成17年に、公判前整理手続というものが刑事訴訟法に導入されました。裁判員制度の事件には必ずこの公判前整理手続が行われます。http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/57/nfm/n_57_2_2_3_2_3.html

 裁判員制度は、仕事などを持っている一般市民の方が参加するのですから、そんなに長期間かけて裁判をやるわけにはいかないので、公判審理の前に争点を絞り込んだりするための制度です。http://www.saibanin.courts.go.jp/topics/kokumin.html

 それで、この公判前整理手続において、証拠開示が認められるようになりました。これは私の理解では検察官の被告人に対する証拠開示の義務であって裁判所に対する義務ではないと理解されます。また、その反対から言えば、被告人が検察官に対して持つ証拠開示請求権ということになります。

 ただ、全面開示というわけではありません。

 村木さんが無罪になった事件を記憶しておられるかと思います。

 あの事件では、村木厚子さんが、Kさんに対し証明書を不正発行させたとして、虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴されたわけですが、その証拠となるフロッピーディスクの日付日時が04年6月1日1時20分06秒から6月8日に改ざんされていたわけです。

 そのフロッピーでKさんが虚偽公文書を作成していたとされたわけです。

 なぜそのような改ざんをしたのかというと、検察の構図では、村木さんは6月上旬に証明書の作成の指示をしていたことになっていて、それにそろえて関係者の証言を得ていたからです。

 もし、6月1日午前1時20分がフロッピーの日時ということになると、村木さんが指示したのは6月上旬というのは考え難く、6月1日よりも前でしょう。
サイン
2012/06/08 23:12


続き) それで、フロッピーの情報を6月8日に改ざんしたという流れのようです。

 これがなぜ発覚したかというと、公判前整理手続の証拠開示で捜査報告書が開示されたからです。

 検察では公判担当の検察官と捜査担当の検察官が分かれていることが多くあり、公判担当の検察官が捜査報告書を証拠開示したわけです。

 その捜査報告書には、フロッピーの中にあった証明書の作成日時が04年6月1日1時20分06秒であったことが記載されていたわけです。

 このことからも、証拠開示、中でも検察側に不利で、被告人側に有利な証拠の開示が如何に冤罪防止に重要かが分かります。無辜の市民を処罰しないデュープロセスの大切さが分かります。

 しかし、この証拠開示手続でも十分ではないのです。
 詳しくは、http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/64982.htmlやhttp://senben.org/archives/3327をお読みください。
サイン
2012/06/08 23:23


続きA)

 特に前者でこういうことが指摘されています。

 「公判前整理手続により、弁護側からの証拠開示請求が相当程度認められようになったものの、今なお、検察側に有利なのが現実です。

 というのも、まず、弁護側はいったい検察側がどのような証拠をもっているかわからないという点です。

 弁護側はこんな証拠を検察は握っているのではないかと推測しながら証拠開示請求をしなければならないのです。

 そして、弁護側が請求しても、検察側は、証拠の特定が不十分だと回答してくることがあります。しかし、見たこともない証拠を特定しろといわれても困難です。」

 先に民事訴訟法の文書開示命令における文書の「特定」の話をしました。結局、この民事訴訟法の当事者主義に刑事訴訟法の当事者主義が引き寄せられていっているのが理解できるのではないかと思います。

 それが英米法的なババを見せる当事者主義と違い、ババを見せない日本の当事者主義の伝統なのだと思います。それは裁判所、検察官の意識改革がないと制度をいじってもなかなか変わらないと思います。スピリットの問題だからです。
サイン
2012/06/08 23:25


 東電殺人事件については、第一審では無罪判決が下されていたわけです。だから、第一審が正しかった可能性が濃厚です。

 被害者の定期券が、被告人の土地勘のない豊島区の民家で発見されたこと。

 2000年(平成12年)4月14日の東京地裁の判決で、「第三者が犯行時に現場にいた可能性も否定できず、立証不十分」としています。

 その時の東京地裁の裁判官を調べてみると、大渕敏和裁判長、森健二裁判官、高山光明裁判官の順番でWikipediaには記載されています。

 合議体で裁判していますから、おそらく左陪席(司法修習生の期が一番若い期の裁判官。一般的には一番若者)の裁判官が素案を書いたのではないかと思います。

 すると、Wikipediaによると、高山光明裁判官ということになりそうです。

 しかし、司法修習の期で調べてみると、どうやら森健二裁判官の方が、若い期です。http://www.e-hoki.com/judge/2860.html?hb=1

 めちゃくちゃエリートです。

 しかし、もしこの方が判決通りの素案を書いておられたのだとしたら、事実、真実を見抜く眼のある知恵のある方だったのでしょう。

 まだ、裁判所は、信頼できるところがあるように思います。

 さらに、検察もまだ捨てたものではないと思っています。今回もマイナリさんに有利な証拠は、検察側が出してきたわけです。
 どういう経緯かは分りませんが、村木さんの時は、検察内部の女性検事が反旗を翻したのでした。

 検察は、広大な起訴猶予権限を持っています。また、弁護士は刑事弁護を他の弁護士より比較的多く手がける場合でも、他の民事事件など色々な事件を手掛けるのが普通です。
 それに対し、検察は刑事専門です。プロフェッショナルです。
 
サイン
2012/06/09 08:47


続き@) ですから、司法試験に合格した後、司法修習を経て、裁判官、検察官、弁護士のいずれになるかを選ぶわけですが、検察に進む人の中には、被疑者・被告人の人権を保障するという観点から、起訴猶予の段階で、起訴を猶予してあげることを考えて進路を選ぶ人もいるのです。
 
 ただ、それでも検察に幻滅して、弁護士になって刑事裁判、少年事件を多く手がけるという人も知っていますが。
 
 不起訴処分には、起訴猶予の他、罪とならない場合、証拠不十分の場合、嫌疑なしの場合の不起訴もあります。

 狭義では、嫌疑はあるけど、訴追の必要がないとして起訴しない場合を起訴猶予と言います。

 だから、起訴しない場合も、検察としては「この人は有罪」と思っている場合もあるわけです。

 例えば、タクシー強盗したんだけど、「まあ、反省もしているし、この人をしっかりと見張る人もいるし、額も軽微だし、タクシーもぼったくっているから、起訴の必要なし」と判断すれば、検察が有罪と思っていても起訴しないことはあるわけです。

 判例の中には、価格二銭位の一塊の石を財物としたものがあり(ただし大審院時代の判例)、また、本来の効用を失ったものでも、なお、所有者が使用価値を認めるものであるかぎり、財物というと妨げないとしていて、この見地から、消印済みの収入印紙を財物とし(最高裁判例)、また、使用済乗車券を財物にしています(大阪高裁)。

 だから、検察の起訴猶予が適正に行使されないと、現行判例の下では、処罰範囲が広くなりすぎる可能性もあるわけです。
サイン
2012/06/09 09:15


続きA) もちろん、起訴しない場合には、嫌疑がある起訴猶予の場合だけでなく、タクシー強盗の嫌疑なしということで起訴しないこともあるわけです。

 検察官が有罪と思っていた(つまり嫌疑あり)けど起訴しなかったのか(=起訴猶予)、嫌疑なしだったのかは、法律上は、被疑者の請求があっても、被疑者に告げる必要はありません(刑訴法259条)。不起訴処分をした旨を告知しただけで足ります。

 検察官がそういう不起訴処分の理由まで告知しなくてはならないのは、告訴、告発または請求のあった事件について不起訴処分をした場合において、告訴人らの請求があるときです(同法261条)。

 嫌疑ありか、嫌疑なしかを決めるのは、検察ですから、それが開示されたといっても、客観的に正しいという保証はありません。

 起訴猶予の場合は、嫌疑がある人も含まれていると思いますが、無罪と仮定して社会は暖かく迎え入れる必要があると思います(無罪推定の原則とは無関係の話です)。

 本当に無罪の人が含まれているからです。

 「疑わしきは被疑者の利益に」と考えるべきと思います。
サイン
2012/06/09 09:16

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東電OL殺人事件はなぜ再審となったのだろうか 飯大蔵の言いたい事/BIGLOBEウェブリブログ
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