飯大蔵の言いたい事

アクセスカウンタ

zoom RSS NHK最高裁判決 報道の自由に重きを置いたのか

<<   作成日時 : 2008/06/13 23:23   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 この裁判での争点は、取材を受けた側の番組に対する期待を編集で変更できるのかの点と、政治家が番組編集に影響したのかの点だ。
各紙の社説が一斉に出た。
NHK―勝訴で背負う自律の責任 朝日
社説:NHK最高裁判決 報道の自由に重きを置いた 毎日
NHK番組訴訟 「期待権」退けた妥当な判決(6月13日付・読売社説)
【主張】慰安婦番組訴訟 NHKと朝日は再検証を 産経
NHK番組改変 政治からも自由確保を 東京
 編集については各紙とも編集権が認められて良かったとする。例えばこんな表現だ。
この論理は、放送を新聞などと置き換えても同じはずである。民主主義社会の根幹をなす表現の自由を重視した極めて常識的な判断だと評価したい。毎日
取材を申し込む時点で説明した内容が途中で大きく変わった場合、相手に伝えたほうが望ましいこともあろう。だが、それはあくまで取材倫理や信義の問題だ。
 法的な制約があっては、読者や視聴者に知らせるべき情報を伝えることが困難になりかねない。読売
 この論理はマスコミの思い上がりそのものだと思う。
 まず、この判決は放送に関するものであって新聞や雑誌はその論旨と関係ないことである。
 次に一般の国民は取材を受ける自由も取材を受けない自由もあることである。憲法的な表現で言えば公共の福祉に反しない限り、取材は拒否できるし、好ましくない報道は差し止めることが出来ると思う。
 逆に政治家や公務員に対する取材は、それ自体が公共の福祉なのだから取材拒否も報道拒否も出来ないはずだ。これが民主主義下での報道の自由ではないのだろうか。
 
 今回の例ではメモを持って番組内容を説明し、その後変更されても説明はなかった。これには取材倫理や信義が無かったと言わねばならない。
 
 こういった問題は程度問題で、事前説明と完全に同じ番組が出来るはずはないと誰もが理解している。しかし、逆に事前説明と全く違う番組にされたら誰でも怒るし、放送するなと要求するだろう。
 マスコミのおごり、すなわち取材対象は文句を言うなでは、民主主義の根幹での人権が侵害されるばかりである。マスコミが人権侵害を行った悪例をマスコミは常に意識しなければならない。今回の社説はそれが見られず、非常に危険であり、残念だ。


 もう一つの政治家の関与問題。
NHKは予算案の承認権を国会に握られており、政治家から圧力を受けやすい。そうであるからこそ、NHKは常に政治から距離を置き、圧力をはねかえす覚悟が求められている。 朝日
NHKは、予算案承認の権限を握る国会議員、特に与党議員に毅然(きぜん)たる姿勢をとってこなかった。加えて、古森重隆経営委員長は特定政治家のパーティーで挨拶(あいさつ)するなど、政治との間に緊張感を維持すべき報道機関の責任者としての自覚がまったくない。
 「報道の自由」の裏表使い分けをやめなければNHKに対する国民の信頼は回復しないだろう。東京
 NHKが政治の圧力を跳ね返し、公共放送であるべきだと私も思う。
 しかし、それは可能なのだろうか。そのためには、政治家が自制的にならねばならない。NHKの経営委員会がメディアのそして公共放送の原則に忠実でなければならない。NHKの職員がメディアの責務を十分に認識し圧力を感じたとすればそれを公表するぐらいのメディア精神を持たねばならない。
 今言ったことの一つでも有るだろうか?私にはすべてが逆の動きに見える。従ってNHKが公共放送に戻って欲しいと思いつつ、絶対にあり得ないと感じる。
 大手の新聞がNHKに対してこのような期待論を述べることは、NHKへのアドバイスかも知れないが、多くの読者にあり得ない幻想を抱かせる点で有害な主張だと思う。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
NHK最高裁判決 報道の自由に重きを置いたのか 飯大蔵の言いたい事/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる