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旧日本兵横井庄一さんがグアム島から日本に帰ってきたのが昭和47年。その言葉が「恥ずかしながら、生きながらえて帰ってまいりました」だった。 同じく旧日本兵小野田寛郎氏がフィリピンのルバング島から帰ってきたのが昭和49年のことだった。その印象は、今読んでいる本の表紙にもある銃を持って軍服を着て敬礼をする姿である。 横井さんは敗残兵と言うか、すでに兵隊ではなかった。小野田氏は未だ日本兵そのものであった。報道で戦後に死んだ部下がいたことを知り、強烈な違和感が沸いたことを覚えている。横井さんは召集兵であり、小野田氏は職業軍人だ。 横井さんは耐乏生活評論家として講演をし、82歳で亡くなった。戦後の日本で平和に暮らせたことを嬉しく思う。合掌。 小野田氏は時々テレビに登場していたが、忘れていた。しかし、映画「蟻の兵隊」に主役の元日本兵との出会いで思い出した。靖国神社で映画の主役と小野田氏の立場の違いがはっきりしたのだ。その時に大昔の違和感を思い出した。 小野田氏はルバング(ルバン)島の本を3冊書いている。そのうちの一つ「わが回想のルバング島」を今読んでいる。事実関係を整理しておく。(Wikipediaも参照) 大正11年(1922年)和歌山県(海南市)に生まれる。昭和14年(1939年)海南中学(旧制)卒業後、「商社マン」として中国・漢口(現武漢)に渡る。昭和17年(1942年)和歌山歩兵第61連隊に入隊し、同年歩兵218連隊に転属。昭和19年1月久留米の予備士官学校に入学し、同年8月卒業。同年9月陸軍中野学校二股分校に入る。同校で訓練の後、同年12月フィリピンに派遣され、ルバング島の遊撃戦指導を命ぜられる。その後30年間作戦解除命令を受けることなく任務を遂行し続ける。 これが著者の略歴である。 本では中野学校を卒業してフィリピンに向かうところから始まる。移動は飛行機だ。情報将校(まだ見習士官だが)は違う。フィリピンで最初に行った所は比島派遣軍参謀部別班だ。看板は「自然科学研究所」となっていた。そこで杉兵団(弘前の第八師団)に配属されることになった。その時の上官が谷口義美少佐だ。 師団司令部に行きルバング島の警備隊の遊撃(ゲリラ)戦指導と言う命令を受けた。 命令は高橋参謀から受けた。師団長からは「玉砕はいっさい、まかりならぬ。三年でも、五年でも、がんばれ。必ず、迎えに行く。それまで、兵隊が一人でも残っているあいだは、ヤシの実をかじってでも、その兵隊を使ってがんばてくれ。いいか。重ねていうが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」と言葉を貰った。 ルバング島は南北27km、東西10km。島中央部の山は500〜600m。住民は1万8千人。住民の多くはカソリック。 島にいた日本軍は、警備隊50名航空情報隊・電探探知隊70名、飛行場大隊24名、海軍の航空警備隊・見張隊55名。合計約200名。 昭和20年1月10日に任官となり、少尉になった。遊撃戦の命令は警備隊にあったが、小野田少尉は「指導」となっていたので、命令権は無かった。 2月になり米軍がマニラに上陸し退路がなくなった。3月に米軍がルバング島に上陸し、島の日本軍は壊滅した。3月15日ごろ山の中に生き残った日本兵は40数名で士官は小野田少尉だけだった。潜伏するため少人数による分散潜伏とした。 小野田少尉のグループは島田庄一伍長、小塚金七一等兵。その後このグループに赤津勇一1等兵が合流する。 投降命令ビラが散布されたが信用しなかった。その後他の旧日本兵は投降していった。 「私には別の命令があった。日本全土が占領されると言う最悪の場合を予想して、「残置諜者」としての任務も命じられていたのである。」と小野田氏は書く。 島にはフィリピンの国家警察軍がおり、しばしば衝突して銃撃戦を行った。放牧の牛も取った。銃弾を厳重に保管し、使える状態にしていた。銃は日本軍の38式銃と99式銃。 赤津勇一1等兵が昭和24年9月に逃げて25年6月に投降した。残留している小野田氏たちのことを話す。 27年1月中旬住民との衝突で2人を殺す。 27年2月日本人が探しに来る。当然出て行かない。 29年5月7日島田庄一伍長撃たれて死ぬ。 29年5月26日から小野田氏の長兄を含む説得団が島に行くが、出て行かなかった。その後何度も捜索隊は行ったが、出て行かなかった。 昭和40年にトランジスタラジオを入手した。日本はアメリカの傀儡政権の統治下にあると解釈。 昭和47年10月19日小塚金七一等兵撃たれて死ぬ。 同年11月に小野田氏の兄弟姉妹が勢ぞろいで島を訪れた。声を聞いても出て行かなかった。 昭和49年2月20日旅行者鈴木紀夫氏が島に来て、小野田氏が姿を現す。その時小野田氏は停戦命令が来ないといった。直属の上官横山氏、高橋氏の名前が出てこないのがおかしいとも言う。鈴木氏は迎えに来ると言い残した。 同年3月9日参謀部別班元上官谷口義美氏から任務解除を受ける。 3月11日フィリピンのマルコス大統領に投降の意を表す。 3月12日日本に帰国。 記者会見の後の感想をこう記す。 まったく苦しい記者会見だった。私たちは勝手に戦い続けたという過ちを犯した。事は事実に相違ない。ただただ、平にご容赦をお願いするしかない立場である。しかし、任務解除と同時に総てが判明し、理解できたからといって、なぜ私だけが”罪人”となって謝らなければならないのか・・・。このような過ちを起こすような環境しかつくれなかったのは・・・。つまり敗戦も”罪人”なのだ。 退院後島田氏、小塚氏のお墓に参る。その理由をこう書く。 それにしても、埼玉と都下にある島田、小塚のお墓に参らないとなれば、マスコミの集中砲火を浴びる。現代社会ではマスコミがどれだけの存在であるかは、わずか2週間の経験でも、あんなに新聞に書き立てられれば、馬鹿でもない限り分かる。 故郷に帰り、手記を書く。昭和50年にブラジルに渡る。(ブラジルには次兄がいた) 牧場についてはこのように説明 私の牧場1128ヘクタールは、日本政府外務省の外郭団体、国際協力事業団が移住者に分譲しようと戦後購入していた土地を、3分の一の頭金、残額6ヵ年の等分分割払いで私が買ったものである。その資金は、帰国後出版した本の印税と、そのほかに厚意ある方々から借りたお金だ。 その後日本で『祖国のため健全な日本人を育成したい』と、サバイバル塾『小野田自然塾』を主宰。 保守主義活動家でもあり、日本を守る国民会議、日本会議代表委員等を歴任。 妻・町枝は現在、日本女性の会会長である。 以上が小野田氏の今までだ。 小野田少尉は命令を受け、中野学校で学んだとおり敵の謀略を容易に信じず、島に残った兵を率いて戦いを続けた。となるのだが、疑問が残る。 命令は第八師団司令部からのルバング島遊撃戦だが、「残置諜者」の命令も受けていたという。それは誰からの命令なのか。 命令の解除は参謀部別班から貰っている。それが「残置諜者」解除の命令なのだろうか。 ルバング島の任務は「指導」だから、部下はいない。残った兵の中には士官は一人しかいなかったから、全体の指揮を執ることになるはずだが、そうはならなかった。異常事態だから規則どおりに行かなかっただけかも知れない。 しかしグループ内においては士官が指揮権を持っていたと考えるのは不自然ではないだろう。「私たちは勝手に戦い続けたという過ちを犯した。」と書くが、「私たち」ではなく「私」だと思う。小野田氏が敗戦をどのように認識していたかは不明だが、「過ち」は判断ミスであり、部下を死なせた責任は上官にあるのは確かだ。 島田氏、小塚氏のお墓に参る理由をマスコミ対策のように書いているが、もし本心ならば責任を感じていないのかと責められるだろう。 フィリピン政府は小野田氏の罪を許した。その裏には日本との経済的な関係があったものだと思う。ルバング島の人はどう感じていたのだろうか。気になるところだ。 戦後のブラジルでの牧場経営はうまく行っているようだ。本の印税が牧場の購入資金の多くだと書く。1128ヘクタールあれば坪100円としても3000万円だ。援助がかなりあったと邪推するのだが。 ここまでの話は、あの戦争に引き続いた話だし、経緯は別にして小野田氏も苦労したことは確かだ。責任を言ってもお墓に参ればそれで良いではないかという事かも知れない。 しかし、未だにある違和感はその後の活動だ。 多くの日本兵はあの戦争の記憶を誰にも言わず、すでに墓場に持って行った。一部の人がやはり残さねばという思いで語っている。あの時代の自身の行動に深い深い思いを持っている。 小野田氏は保守主義活動家をしている。小野田氏はルバング島の30年と、事実が分かったその後の年月をどう考えているのか。自身の判断ミスで日本兵と住民を殺しておいて責任は感じていないのか。 日本を戦争の出来る国にしようとする活動をしているのか。小野田氏への命令は解除されているはずなのだが、それがまだ活きていて、今度は小野田氏経由で日本人に命令を下そうとしているのだろうか。 |
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とむ丸の夢 2007/03/25 11:38 |
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飯大蔵の言いたい事 2007/11/23 01:08 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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>自身の判断ミスで日本兵と住民を殺しておいて責任は感じていないのか。 |
とおりすがり 2007/05/06 03:09 |
とおりすがり さん |
飯大蔵 2007/05/07 21:48 |
小野田氏への命令は解除されているはずなのだが、それがまだ活きていて、今度は小野田氏経由で日本人に命令を下そうとしているのだろうか。 |
とおりすがり二人目 2009/01/18 21:29 |
失礼ながら、ここのブログの作者は精神的骨格と社会での人間的人生経験が未熟だと考えれる箇所があります。 |
法華経の信者 2009/08/11 04:58 |
このブログの主は、そもそも軍の命令系統を全く知らないし理解しようともしていない。 |
ジャングル戦助教 2009/11/11 20:58 |
>とおりすがり さん |
hoge 2009/11/14 17:02 |
hoge様 |
カタカナサヨク 2009/11/15 06:18 |
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