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<<   作成日時 : 2006/08/20 21:39   >>

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 発掘調査で考古学者とあるからなにかの遺跡かと思ったら、朝鮮半島出身のの徴用者の遺骨だった。

強制連行者の遺骨発掘調査 北海道で、日中韓の学生ら
2006年 8月20日 (日) 18:38 共同

 植民地時代に強制連行され、北海道で死亡した朝鮮半島出身者の遺骨を改葬し供養しようと、日本や韓国、中国などの市民や学生が20日、北海道猿払村浅茅野の共同墓地跡で大規模な発掘調査を始めた。

付近にあった旧陸軍飛行場の建設工事のために連れて来られたとされており、24日まで作業する。

発掘には約250人が参加。考古学専攻の韓国・漢陽大学の安信元教授らの現場指導で午前10時ごろから約500平方メートルを掘り進めた。地表から25センチほど掘ると、3カ所で人骨が見つかった。今後は近くの寺に仮安置し、鑑定や埋火葬許可証などから死亡者を調査する。
強制連行かどうかの議論はここではしないが、朝鮮半島出身者が、飛行場建設工事を行い、他の資料で読んだがタコ部屋のような監視付きの場所にいたことが普通だったこと、そして死亡した事は事実だ。多くの場合地元の人はその事を悲しみ、慰霊などを行っている。このケースの発掘場所はどのような場所なのか。
戦後60年を経て、未だに遠く離れた土地で地中に眠ったまま故郷へ帰れないでいる人たちがいます。
 2005年秋、北海道宗谷郡猿払村の旧共同墓地の林から、一体の成人男性の遺骨が発掘されました。
 この地では旧陸軍の主導で飛行場建設(1942〜1944)が行われており、朝鮮半島から強制連行されてきた人々が、過酷な労働等によって命を落としていきました。彼らは旧共同墓地へ埋葬されましたが、その後墓地が移動したあとも改葬されずに、多くがそのまま残されています。
 戦後に土の中に残された犠牲者を悼む地元の人々によって、改葬が試みられました。このときは遺骨の発見には至りませんでしたが、埋葬地の土を犠牲者の故郷韓国へ運びました。
 また、浜頓別高校の郷土研究サークルが浅茅野飛行場建設に関する調査を進め、地元有志の手で追悼碑が建立されるなど、地道な活動も続けられています。

 今回、昨秋の発掘結果を踏まえて、犠牲者の遺骨の全面改葬を決意し、日本人・アイヌ民族、韓国・朝鮮人、中国人といったアジアの人々が共に取り組む「東アジアの平和な未来のための共同ワークショップ」を開催いたします。
 このワークショップは、「共同発掘プログラム」「学術研究プログラム」「文化交流プログラム」を用意し、それぞれのプログラムを通して、参加者の中に新たな発見と出会いがあるものと期待しています。
 発掘された犠牲者の遺骨をご遺族の元へ届けるべく、彼らが語りかけてくれる歴史の声を耳にし、現在の東アジアの仲間たちと語らい、共に未来を作る営みを始めませんか?

2006年夏 実行委員会一同
東アジアの平和な未来のための共同ワークショップ
遠い異国の地で眠る遺骨が故郷へ帰れるように行うこのプロジェクトは必要なもので、このようなことをすべて完結しないとあの不幸な時代は終了しないでしょう。


 遺骨収集といえば旧日本兵の遺骨も日本に戻っていない数が多い。海外戦没者240万柱のうち戻って来たのは124万柱しかない。その中には輸送船の撃沈などにより回収できない海没遺骨が約30万柱あるとあります。厚生労働省は遺骨情報を求めているとある。逆の言い方をすれば情報が無ければ遺骨収集をしないと言うことなのだろうか。
 あの戦争の愚かな作戦の一つインパール作戦のタイ側での取材記事です。
遺骨収集 いまだ帰れぬ日本兵 タイ「カオソド」記者・チュムチャン・チャムニプラサートさん(30)
■母の大地で眠る

 ビルマ(現ミャンマー)国境と接するタイ北部メーホンソン県。「メー」はタイ語で、母を意味する。戦後半世紀を経て、母なる大地から旧日本兵の遺骨が次々に発掘されている。

 「歩五一 七中 番二〇六」「林五二五九 北二三二六三五」。いずれも遺骨といっしょに発掘された旧日本軍の認識票だが、名前は特定されていない。
 「どうして名前を調べない。メーホンソン県だけで約七千人の日本兵が死亡したのに、なぜ遺骨を放置している。インパール作戦でタイ北部に敗走した日本軍のデータはないのか」

 「白骨街道」と呼ばれたクンユアム地区に三年前、日本軍の車両や軍服などを展示する戦争博物館を開館した警察署長チュアチャイさん(58)は、タイがまとめた日本軍の撤退記録を見ながら、何もしない日本政府への疑問をぶつけた。その記録には同県に「日本兵埋葬所が二十九カ所あった」と明記されている。

 日本政府はタイから提起された埋葬所の存在に驚き、十一月下旬、二十二年ぶりに政府遺骨収集団を同県に派遣した。共同取材したチュムチャンさんは「戦争は最大の人権侵害。名もなき日本兵も犠牲者だった。早く本当の母国に帰してあげたい」と仏教の国・タイの気持ちを代弁した。(後略)
日本人と同じく、タイの人も異国で死んだ人に対する思いは同じです。そして何もしない政府とはどこの国の政府なのか。

 戦没者遺骨収集に関する再質問主意書 提出者  菅 直人から引用
一 前回の質問で、「当然国家の責任」と平成十七年三月九日の衆議院厚生労働委員会での当時の厚生労働大臣の答弁について政府として具体的にどのようにその責任を果たすのかという点、現在の遺骨回収は、「遺骨のある場所の情報が寄せられれば収集する」と厚生労働省が言っていることについて、政府として積極的に情報を収集し、捜索・回収する体制を整えるべきではないかという点等について政府の考えを質した。
 答弁書では、厚生労働省においては、昭和二十七年六月十六日の衆議院海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会における海外諸地域等に残存する戦没者遺骨の収集及び送還等に関する決議を踏まえるとともに、厚生労働省設置法(平成十一年法律第九十七号)及び「米国管理地域における戦没者の遺骨の送還慰霊等に関する件」(昭和二十七年十月二十三日閣議了解)(以下「閣議了解等」という。)に基づき、戦没者の遺骨収集を行ってきており、これまでに約三十一万柱の戦没者の遺骨を収集してきた。また、従来の戦没者の遺骨収集の取組に加えて、平成十八年度からは、新たにいわゆる南方地域について民間団体等の協力を得て派遣団を編成する等により、海外からいまだ送還されていない戦没者の遺骨の集中的な情報収集事業を実施するなど、戦没者の遺骨収集に積極的に取り組むところである、との答弁だった。よって戦没者遺骨収集に関し以下質問する。
 1 未だに百万柱以上もの戦没者の遺骨が未収集の現状において、「当然国家の責任」との大臣の発言を踏まえ、政府は期限を区切らず未収集の遺骨を全て回収するために今後一層捜索と収容を行うと理解してよいか。答弁を求める。
 2 終戦から長い年月が経っており遺骨収集活動が困難な状況もある中、民間団体等の協力を得ることや厚生労働省社会・援護局援護企画課外事室の現状の体制だけでは充分でないと考えるが、政府が直接捜索・回収の実働組織の編成について何かしらの形を検討するべきではないか。政府の見解を求める。(後略)
その回答
一の1について
 厚生労働省においては、海外からいまだ送還されていない戦没者の遺骨に関する集中的な情報収集の実施状況等を踏まえながら、今後とも可能な限り遺骨を収集してまいりたい。

一の2について
 厚生労働省においては、衆議院議員菅直人君提出戦没者遺骨収集に関する質問に対する答弁書(平成十八年四月四日内閣衆質一六四第一八三号。以下「先の答弁書」という。)の一の3及び4についてでお答えしたとおり、社会・援護局援護企画課外事室を中心に戦没者の遺骨収集を行うための必要な体制をとっているところであり、現時点においては、引き続き現行の体制により戦没者の遺骨収集を行ってまいりたい。


 あの戦争のために異国で死亡しまだかえっていない遺骨を可能な限り故郷に戻す事をして始めてあの戦争を終了させることが出来るのではないだろうか。民間の努力ばかり目に付いて政府の努力は見えない。菅氏の質問にも簡単にしか答えない政府の態度はひどいとしか言いようが無い。

 遺骨を海外に放置しても、その霊は靖国に帰るのか。靖国に参拝すればその霊に報いた事になるのか。朝鮮半島の人を放置してあの時代は終わったと言って良いのか。
 責められるべき今の政府の不作為だ。

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クンユアム旧日本軍博物館
『日本人を見たこともないのに、冥福(めいふく)を祈る。自費で遺品を集め展示する。そこまでしてくれるのか。自然と頭が下がった。』 8月15日付産経新聞に掲載された特集記事「遺品博物館 見知らぬ日本兵の魂に祈り」の中に書かれている。(写真はタイ... ...続きを見る
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2006/08/21 20:45

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