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zoom RSS 「ジャーナリストは塀の上を歩いてほしい」

<<   作成日時 : 2006/05/03 15:59   >>

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 毎日新聞の発信箱というコラムだ。元村有希子氏といえば理系白書の担当だ。自身のブログ理系白書も出している。別のブログで批判的な記事があったのでそういうものかと見ていた記憶がある。少し初歩かとも思ったが正面から見ているという印象だった。
 今回のコラムは字数は少ないが、重い内容だ。
塀の上を歩く=元村有希子(科学環境部)
 脳科学者の養老孟司さんが先日、ジャーナリズムに関する催しで「ジャーナリストは塀の上を歩いてほしい」と言った。

 塀の上といえば別の意味で使われることが多いが、そうではない。仮に塀に守られた存在を「権力」と呼ぶならば、ジャーナリストは塀の中の住人になってはいけない、と養老さんは言う。塀の中の非常識を疑わず、「そんなものなのだ」と納得してしまう人はジャーナリストには向かない。塀の外にいて中の様子が分からないのも困る。だから「上を歩く」のだという。

 それで考えさせられた写真がある。

 04年10月15日、水俣病関西訴訟で国の責任を認める最高裁判決が言い渡され、原告、被告双方が環境省内で顔を合わせた。翌日の朝刊1面(東京本社版)の写真は、深々と頭を下げる同省幹部の後ろ姿と、それを見つめる原告患者・家族の表情だった。

 写真の中の原告たちに笑顔はない。謝罪するが認定基準は見直さないという国の姿勢に怒りをにじませている。原告が喜ぶ様子を報じた社もあった。どちらも事実だが、伝わるものは対照的だ。撮影者があの日、写真を通して伝えたかったのは「怒り」だった。

 最近やや怪しくなっている気もするが、憲法21条は「言論、出版その他一切の表現の自由」を保障している。塀の内外を行き来する者として、一人一人の視点と責任が問われる。

 あの日、環境省幹部に注がれた原告の厳しい視線は、記者にも向けられていると見るべきだ。お前の居場所はどこだ。写真を見ながら自分に問うてみる。

毎日新聞 2006年5月3日 0時02分 毎日

立派なことをいうと意味では朝日新聞と同じだが、朝日は「やっているから見ろ」と言っているように感じる。こちらは「やっていきたいから見ていて欲しい」と感じる。その違いは大きい

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