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help リーダーに追加 RSS 「合祀」ということ

<<   作成日時 : 2006/05/04 17:19   >>

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 靖国神社荷関連して「合祀は出来るが分祀は出来ない」、とか「なぜなら靖国の英霊は一つの座布団に居るから」(一座と言うことなのか)と言われる。この合祀、分祀と言う言葉がどうも良く分からないのだ。
 gooで検索してみると、靖国の分祀論と明治時代の神社合祀が出てくる。靖国の方はよく言われているから別にして神社合祀の方に注目したい。

 明治政府は官幣神社と称して神社の体系化を行った。天皇家由来の神社を最高峰にして土地に由来する神社を最下位にするもので神社が非常に多かったので、統合を行った。その際廃止された神社を別の神社に「合祀」したものだ。検索には南方熊楠がよく出てくる。南方熊楠の手紙、ここから引用
「…そもそも全国で合祀励行、官公吏が神社を勦蕩(そうとう)滅却せる功名高誉とりどりなる中に、伊勢、熊野とて、長寛年中(1163-1165)に両神の優劣を勅問ありしほど神威高く、したがって神社の数はなはだ多かり、士民の尊崇もっとも厚かりし三重と和歌山の二県で、由緒古き名社の濫併(らんべい)、もっとも酷く行なわれたるぞ珍事なる。すなわち三重県の合併はもっともはなはだしく、昨年六月までに五千五百四十七社を減じて九百四十二社、すなわち在来社数のわずかに七分一ばかり残る。次は和歌山県で、昨年十一月までに三千七百社を六百社、すなわち従前数の六分一ばかりに減じ、今もますます減じおれり。かかる無法の合祀励行によって、はたして当局が言明するごとき好結果を日本国体に及ぼし得たるかと問うに、熊楠らは実際全くこれに反せる悪結果のみを睹(み)るなり。
 …かくのごとく合祀励行のために人民中すでに姦徒輩出し、手付金を取りかわし、神林を伐りあるき、さしも木の国と呼ばれし紀伊の国に樹林著しく少なくなりゆき、濫伐のあまり大水風害年々聞いて常時となすに至り、人民多くは淳樸の風を失い、少数人の懐が肥ゆるほど村落は日に凋落し行くこそ無惨なれ。」(白井光太郎宛 明治四十五年二月九日)
続いてHPでは
上司の意に迎合せんとする地方官吏は飴とムチを使って村民を誘導し、闇雲に合祀の数を競った。廃社となれば境内の神木が売り払えるということで、ことさらに巨樹の残る神社を破却する欲得づくのスキャンダルも続発した。神社合祀はのちに、神道国教化と天皇制国家主義の確立に向けた地域信仰の弾圧等と評されているが、実際に和歌山などで行われた神社合祀はもっとデタラメなものであり、皇室に縁のある神社であっても容赦なく、地方官吏や神官らの私利私欲のために潰されていった。政府が意図した効果をあげる以前に、「神社合祀令」は既存の地域共同体の破壊と人情の荒廃とに大きく貢献してしまったのである。南方熊楠は神社合祀の弊害を八箇条にわたってあげ、論難している。

「…神社合祀は、第一に敬神思想を薄うし、第二、民の和融を妨げ、第三、地方の凋落を来たし、第四、人情風俗を害し、第五、愛郷心と愛国心を減じ、第六、治安、民利を損じ、第七、史蹟、古伝を亡ぼし、第八、学術上貴重の天然紀念物を滅却す。
 当局はかくまで百方に大害ある合祀を奨励して、一方には愛国心、敬神思想を鼓舞し、鋭意国家の日進を謀ると称す。何ぞ下痢を停めんとて氷を喫(くら)うに異ならん。」(同上)
とある。
 明治政府は神道振興のため仏教と分離をし、地域に密着した神社を数多く廃止をした。これが宗教弾圧であることは明確だ。それも神道の一部の弾圧なのだ。

 またいろんな神社の案内にこのようなものがある。
冨士神社 鎮座地:福井市種池町13-32-14
祭  神   木花開耶姫命 伊弉册尊
例  祭    4月18日
神  紋    八つ輪宝
境 内 地   748.74u
旧 社 格   村社
主要建物  本殿 鉄筋コンクリート造 銅版葺 神明造
        拝殿 鉄筋コンクリート造 平屋根 
氏  子   26戸
「由 緒」
創立年月不詳。
旧足羽郡種池村字中垣内に鎮座していたが、明治41年2月3日同村江守中の旧村社熊野神社に合祀した。ところが昭和21年3月25日に再び分離独立して現在地に鎮座創建された。
合祀したが分離独立もしたようだ。祭神は複数だ。これも合祀なのだろうか。もう一つ
長袋神明神社 
所在地:太白区秋保町長袋字町

この神社は、奥州神明7社の1つに数えられていたといわれ、もともと仙台市大町に祀られていたが、 江戸期のはじめ神主が放免されて廃社となったため、門人等が秋保に移したといわれる。 さらに同じ頃各方面から人を集め現在の長袋町の集落が形成されるが、 人々の間ではお伊勢参りが盛んになるあまり高額な旅費確保のために財産を失う者が続出したので、 やむなく伊勢神宮を勧請、神明神社を創建しこれに代えたともいわれている。 明治42年無格合祀の勅命により、諏訪神社に合祀された。
地域では「お神明さま」と呼び、祭事に使われる神輿は、合祀のとき秋保神社に移されたが、 戦後社格の廃止とともに再び神明神社に納められている。


 神社の合祀は普通に行われていたことのようだ。神社が分かれるときに分祀と言う言葉はお目にかからない。このような概念はないのかもしれない。ただ合祀の意味は同じ神社に神様を祀ることであって、神様の名前は追加され、列記されるのみだ。分離される時には神様ももとの神社に戻るだけのことだろう。

 神道における神様は天孫系の神様、国の神様、そして木や山を御本体とするものなど様々である。しかし神様には各々名前がある。
 貴人などを神様にした例も多々ある。古くは菅原道真、太閤、大権現など。近代でも明治天皇、乃木大将、東郷大将など。いずれも主祭神だ。

 なぜ靖国神社では一座に合祀されるのだろう。その理由がいまだに分からない。(実は頭には浮かんでいるのだが、とても恐ろしくて書けないのだ。)

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
ここの場合と靖国神社への戦犯合祀とは、少し意味がそれているような気がします、明治の合祀政策は廃仏毀釈からきており、天皇崇拝=神道により江戸時代には神仏和合で明治までは神と仏との境界が曖昧であった、理由は家康による宗教支配の為に寺社奉行なる役所があり、その為曖昧になっていた、では何故家康はそこまで宗教支配にこだわった?信長と本願寺勢との戦いと自身も本願寺勢に三河時代に苦しめられたからである、宗教戦争の恐怖を体感したからで日本人が無宗教民族である幸せは、信長時代からの功績だと思う無宗教な民族は世界的稀な民族だと思う、でも無宗教とは無秩序の意味ではなく偏った宗教心が無いだけで今でも日本人は正月には神社に初詣もするしクリスマスもするし死んだ時は葬式に仏の戒名も貰う即ち何色にも染まる民族なのであって偏った宗教心が無い為に争いが無い(民族同士での)しかし中世までは其れが存在したが信長が大鉄槌を下してから、歴史が動いたと言って過言ではない。
こころ
2006/09/01 23:00

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